やっぱり、少しずつ年老いて来ているのでしょう。先々週より先週が、そして先週より今週の方がずっと疲れてしまうのです。そうやって、いろんなものが自分から削がれていって、最後はふらふらになって、ぺたんと床に座り込んでしまう。そうか、そういうものなのか、何だか分かりたくなかったものが、分かった様な気がします。
徒然草の現代語訳、読み終えました。最初の中は「おもしろいな」と思ったのですが、読み進めるにつれて、これ、筆先三寸で適当なことを書いているのね、とかなり呆れるところも多く、何度も読み返す様な代物ではないというのがワタシの感想。天下の古典に何ということを….
ただ、その中で「引っ掛かり」があったのが、「自分にとって大事なことを成し遂げようと思ったら、今やっていることも、何もかもを放り出して、それに取り掛かれ」というところでした。これ、今でも、そういった主旨の有難いお話が世界中でされているのですが、既に700年も昔から、同じことが言われ続けてきたのです。
きっと、そうなんでしょう。何か「コトを成し遂げた人」というのは、少なからずそういう期間を経て、望んだ場所に辿り着いたと思うのです。つまり「猫まっしぐら」という能力を持ち得ていたということです。神さまはニンゲン一人ひとりに、それぞれ素晴らしい能力を与えてくれたと思うのですが、中でも「猫まっしぐら」「脇目もふらずに我が道をいく」という能力は最強の力なのでしょう。
それで、残念ながら、ワタシにはこの能力は無く、常に真っ直ぐには進めないのです。ただ意志が弱いだけだったのでしょうが、子供の頃は、自分の行く末を決める様な肝心なときでさえ、幾つものことを同時並行的に走らせてしまって、結局、全部を台無しにしてきたのです。でも、楽しかったけどね。
やがて大人になって、いろいろと「責任」らしきものを背負う様になると、今度は「何もかもを投げ捨てて」なんてことができる訳もなく、ますます真っ直ぐには進めなくなってしまいました。
でもね、そうであっても、少しは前に進んできたことは確かなので、結果オーライなのです。今となって、改めて、徒然草の中で吉田兼好さんに「猫まっしぐら」を教えてもらっても、「きっと、そうなんだろうな」などと特に感慨も無く、ふむふむと頷くだけなのです。
でも、これから先、私を「猫まっしぐら」に駆り立てるものが現るかもしれません。期待薄ですけどね。
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美味しいものが食べられるとなれば、本当にネコちゃんは「まっしぐら」で駆けてきます。それ以外のときは、家中をあっちにふらふら、こっちにふらふらしているんですけどね。ちゅーるとか、フリーズドドライのササミとか、マグロのフレークとか、家の子、最近はオヤツばっかり食べて、困っています。