Amazonで買った中華製の充電式の乾電池、商品説明には「1,000回繰り返し充電可能」と書いてあったのですが、10回も充電しない中に「充電不能」になってしまいました。結局、購入時には多少高くても国産の有名メーカーのものを買った方が、ずっと倹約になったのです。

というか、改めて考えるに乾電池は「使い捨て」が一番よさそうです。私はちまちました性格で、かつヒマなオジイサンなので、こまめにパワーが無くなった電池を充電器入れて充電するなんて、かったるいことを「今は」しているのです。けれど、もうしばらくして「生きるのにやっと」なんて状態になったら、真っ先に「もうやらない」になる作業なのですよ、これは。

今辛うじて生きている「充電式の乾電池」がお亡くなりになってしまったら、使い捨ての乾電池に戻ります、ワタシ。災害時にも役立つしね。そう言えば、東日本大震災のとき、街中からも、ネットからも「乾電池」一斉に無くなってしまったことを思い出しました。みんな、ちゃっかりしてるからなぁ。

さて、どの時代であっても、そのときの「必修科目」みたいなものがあって、これに関する知識や基本動作ができないと肩身の狭い思いをします。今だと何と言っても「IT」関連のものということになります。長らく勤めていて会社が「IT企業」だったので、私もそれなりには分かったりするのです。

勿論、既にそこを離れてから5年程も経過しているので、知識なども「最新」のものではなく、最前線でバリバリやっている人から見たら「おっ、シーラカンスが何か言ってる」みたいなことに違いありません。それでも、今の職場や日常で接する身近な人の間では、PCの設定やら、Excelの使い方などを教えてくれる「便利な人」として、結構に重宝されて有難がられているのです。

それで、そんなこんなをしていると、ときおり、今は亡き父母やら、親戚のおじさん・おばさん達のことを考えたりするのです。今も、この人たちが生きていたら、恐らく「IT」なんて何のことやら見当も付かず、果たして、それが使えたり、理解できていなかったら、辛い思いをするのだろうかって。少し困った様な顔をしそうで、それを想像すると何だかとても胸が痛むのです。

そして、こうも考えるのです。生きていく上での本当の「必修科目」というのは「IT」に代表されるテクノロジに関するものではなくて、「モノゴトを深く考える力」であったり、「失敗した人にも普通に接すること」であったり、「自分の抱える現実にきちんと向き合う勇気」といったものなんだろうなって。

何故なら、私の周囲に居てくれた人たちはみんな、「流行りの知識や局所的なノウハウ」なんてものが無くても、きちんと生きていたのですから。そして、多くの人を幸せにしてくれたのですから。であるならば、今の私は、果たして「真の必修科目」を修了できているのかが心配になるのです。

とは言っても、これは、自分で判定できるものではありませんからね。愛猫にでも訊いてみようかな。「全然ダメにゃ」とか言われんだろうな、きっと。

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買物メモとか、やることメモとか、しばしば日常で書き留めるという作業が発生します。必要なのは「書く道具」と「書かれるモノ」で、「書かれるモノ」の方は意外と何らかの紙が周囲に散らばっていて困ることはありません。

問題は「書く道具」の方で、必要なときに「ペンが無いよ」探し回ることになります。それで、家中のところどころにボールペンを転がして置くことにしたのです。ボールペン、100均で10本入りで100円だったりするので、先日×2を買って、テレビ台の上とか、キッチンの引き出しの中とか、靴箱の上とか、IP電話(ほぼ置物)の近くとかにバラまきました。

効果は抜群で、最近は「ペンが無い」とバタバタすることがほとんど無くなったのです。とは言っても、何故か明らかにバラまいた当初よりも数が減っているのです。もしかしたら、妖精さんがボールペンを持ち帰っているのかも知れません。オジイサンが気持ち悪いことを書いてしまいました。

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