近くのスーパーにとても美味しいチョコが売っていて、カミさんとふたりでマイブームになっています。今日も帰宅する途中で「それ」を買ったのですが、何だかやたらにチョコレート売り場が拡大していたのです。しばらく「?」だったのですが、しばらくしてオジイサンでもピン!と閃いたのです。そうか、もう少しするとバレンタイン・デーなのね。

個人的には随分前からバレンタインというのは、一体誰が盛り上がっているのか不明なイベントになっているのです。職場でもそんなもの「欠けら」もありませんし、家庭でも話題にも上がりません。中高生とかが、胸をときめかしながら、その日を迎えたりするのかな。まぁ、私には関係のない話です。

さて、世の中、大体、誰かに「人質」を取られていて、強くは出られない様に思うのです。勿論、本物の「人質」ではありません。そんなもの取られていたら、即、通報ですから。

例えば会社に勤めていると、自分の昇進とか評価とか、そういうものを「人質」に取られているので、上司に強く出る訳には行きません。こういう関係って、どこでも同じで、スポーツの代表チームで選手が監督を批判しないのは、「強く」出たら試合に出してもらえないからに他なりません。

また、何かを預けていても、「強く」は出られません。だって。預けているものに危害が加えられたら困るじゃないですか。昔、愛猫が家に来てすぐのタイミングで、病院に検査をしに連れていったときも、なかなか引き取らせてくれなくて、困ったことがありました。「心臓が悪い恐れがある」とか何とか言って、どんどん検査項目を増やされてしまい、結局はかなりのお金を支払うことになったのです。

その病院、それを最後に絶対に行かないことに決めたんですけどね。結果として、今のとてもよい主治医の先生に出会えたので、そこに至る必要なプロセスであったと無理くり自分を納得させているのです。とは言っても、今でも思い出す度に激おこなのですよ。あれは卑怯でしょ。

それで、「人質」が一切ない状態だと、自分はどういう人なのか、自分の本性に興味があったりするのです。というのも、今の職場、70歳を遥かに超えた先輩方が大半なのですが、結構に皆さん「強く」出るのです。

すでに年金も受給されていて、皆さん余裕を持って暮らしておられる様子で、もしかすると「人質」に何も取られていないのかも知れません。上司にあたる年下の管理職に、使う言葉は丁寧ですが、忌憚なく、忖度なく、媚びることなく、本質を突いて、仕事上の課題や改善すべき点をズバズバと切り込んで行くのです。

そうか、「人質」を取られていないと、こうも真っ直ぐに「自分」を主張できるのかと感心してしまいます。逆の視点で眺めると、こんな風に遠慮なく部下に来られたら、上司も大変だろうなと思ったりもするのです。特に相手が20歳、30歳も年上だったら猶更です。頑張って下さいね。

私も年金を受給しながら働く様になって、「人質」もいつの間にか解放されてしまったら、結構に「強く」出られるのでしょうか。分かりません。そうなったときに「新たな自分」が目を覚ますかも知れません。取り敢えず今は、そんなには「強く」出られないワタシなのですよ。

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最近は、コンビニでも販売予測が高い精度で行われているらしく、廃棄食品が大幅に少なくなっているそうです。それで、私が頻繁にお買い物に行く14時過ぎというのは、AI様によると「こんな時間に食べ物を買う奴はいない」と判断されているらしく、棚には、おむすびやサンドイッチがほとんど残っていないのです。

「買いに来たけど商品が無くて泣きながら帰った」という需要というのは、POSにもどこにも残らないんでしょうね。こんな需要を、店内のカメラ画像の解析から拾い上げてくれないかしら。まぁ、そんな奴、大していないからダメですよね。何か手を打たねば… 考えるんだ、オレ。すこし早目にお店にイケヨ。

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