愛猫が外を見たがるので、結構頻繁に部屋の窓を開けます。途端に冬の冷気が部屋に流れ込んできて、それまで暖房で温めてきた「ぬくぬく」が台無しになってしまいます。けれど、一心に外の風景、何も起きない外の世界を飽きずに見つめている愛猫の丸い背中を見ていると、寒さも忘れて幸せな気持ちになります。

いよいよ年の瀬が押し迫ってきました。月曜日から、日を追うごとに通勤電車も空いてきた様に思います。昔と違って、年内の最終日、年明けの初日には何があっても出社せよ!なんて職場の不文律もありませんから、明日(12/27)あたりからは早々にお休みに入る人も一気に増えることでしょう。

私も本当は「カレンダーどおり」の6日間(12/29~1/3)に、何日か足したいところですが、何せ新入社員で有給休暇を持たない身なので、今年はこれで満足することにします。

さて、若い頃、というか、早期退職をした3年前には、これからどう生きようかと、いろいろと綿密な「構想」を練りましたが、今振り返ると「お笑い」以外の何物でもありません。それで、「お笑い」のクセにこいつが随分と私を苦しめた訳です。

誰もが60歳前後には、「定年後、何をやろうか」とか「早期退職して、こんなことをしたい」なんてプランを練る訳ですが、凡そ、「こんなハズじゃ…」となる様に思います。それで、このモヤモヤとして満たされないプロセス、失意と不安の日々こそが大事なものだと思うのです。

ジタバタと何年間か足掻くと、神さまがきちんと、人それぞれに「辿り着く場所」を用意してくれるので、ようやくここで落ち着くということになっているのです。そして、計算どおりにプラン通りの場所に到達するのではなく、思いもよらないところに自分が連れ去られるのが面白い訳です。

ちなみに、今、私がしている仕事や、過ごしている毎日なんて、早期退職をした頃に思い描いていた「その先」とはまったく違っていますからね。けれど、毎日が夢中で、とても楽しい。給料が低いのが残念なところですが、これ以上望むのは贅沢というものです。

それで、何となく落ち着いたところで、いよいよ「これから」のことを再度考えてみたいと思い始めています。何日か前のエントリでも同じことを書きましたけれど、せっかくベースキャンプを整えたのですから、少しはそこから足を伸ばしたいと思う訳です。

これまでは、何か未来を考えるときに、65歳の自分とか、70歳の自分とか、そういった考え方をしてきました。確かに、いつから年金をもらえるとか、老化による体力の衰えとか、働けるのはいつまで、なんてことを「年寄りの未来年表」として考えることも「生きていく」ためには必要です。だから、これもときどきは考える。幾ら考えても、大して変わらないけれど。

けれど、「自分がしたいこと」については、自分の年齢などまったく考慮せず、さくっと「残り30年」とだけ考えると何だか楽しくなってきます。30年をフルに使って、歩みは遅くともひたすらに長く歩く。すると、まったく別の景色が見えてくることをようやく知ったのです。

xx歳になったらすべての仕事を辞めて、悠々自適に暮らす。そういう未来をどうしても考えてしまいガチですが、私はこれから30年、楽しければずっと働いているのもいいなぁ、と最近は思っているのです。

仕事でも何でも、夢中で何かをやり続けて、或る日突然に神のみぞ知る自分の持ち時間が終わる…. こんなのプランでも何でもないですよね。けれど、辿り着いた「今」、私に考えられる「これからの30年」はこんな単純なものなんですけどね。

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ちなみに年収300万円程度の老後の仕事でも20年続ければ6,000万円になります。これ、幾つになっても働くことを楽しめれば、今、6,000万円の資産を持っていることと同じだったりしません? 長くゆっくり歩けば、いろんなことから自由になれるのかも知れません。

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