「悠々自適」、言わずもがな「定年退職後などに俗世間から身を引いて、のんびりと暮らすこと」という意味です。最近では、「そんなにお金もないし、年金だって大してもらえない。悠々自適なんて夢のまた夢だよ」という誰も見たこともないユートピアの話という文脈で語られることが大半だと思います。

私もずっとそんな思いでいたのです。自分の不甲斐なさを棚に上げて、多分に怨嗟の思いを込めながら。けれど、最近は少し考え方が変わりました。人間ですからね、多分にそんな肩のこる考え方に飽きたり、どうでもよくなってしまったのかも知れません。

「悠々自適」というのは「自分にすべてのコントロール権があること」だと最近は考えています。これ、今回のエントリのタイトルは「取り戻す」としていますが、本当はこれまでの生涯で「初めて」のことに違いありません。

子供の頃は親の庇護下にあり、どんなに「いきがって」みても所詮は自分をコントロールなどしていませんでしたし、就職後については、経済面でも心理的な制約といった面でも多分に「会社」の傘の下で生きていた訳です。

「会社」という枠の中にいて、自分だけでは動かせないものを動かすことの一部を担ったり、客先や取引先を含め多くの人たちと触れ合うことが出来たりと良い経験に満ちてはいたのですが、果たして自分を全面的にコントロールしていたかと自分に問えば、答えは「NO」です。

それが定年前後の年齢でリタイア(セミリタイア)し、何でもは手に入らないけれど普通に暮らせるお金があり、(基本として)したくないことはしなくてもよく、誰に命じられることもない(除:カミさん)、これって、実は「自分に自分のコントロール権」がある状態だと思うのです。とっても当たり前の話ですけどね。

これ、最初は馴染みのない状況というか「初めて」のことなので、いろいろと戸惑います。そもそも「何をコントロールするのか」「どの様な状況に自分はしたいのか」、ここからのスタートです。逆に言えば「コントロールできないものは何なのか」を理解することでもあります。

コントロールできないもの、自分で変えることができないものは「他人」と「過去」、それに「天候」といったところでしょうか。それ以外のことは「自分でコントロールすることができる」、思えばそれって素晴らしいことなのです。それをするもしないも自分次第ですけれど。

先ず最初のコントロールは「健康」ですかね。年老いてしまって、体を自由に動かすことには限界がありますが、健康で長持ちさせるためにできることがあります。食べ過ぎない、早寝早起き、お酒を控える、運動を心掛ける、心健やかでいる… すべて「自分でコントロールできる」のですから。「悠々自適」な生き方の起点はここにありそうです。

そうは言っても長年の悪習慣はそう簡単には直すこともできない訳で。

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