今日は猫の日で、三連休の前日です。会社から帰ってきて、カミさんとご飯を食べてから、今は愛猫とダラダラと最高の時間を過ごしています。今日もこれから、まだまだいろんなことをして一緒に遊びます。

新しいオモチャ(ネズミの尻尾)もあるし、新鮮な猫草もあるし、フェルトのボールも無数にあるし、美味しいオヤツも何種類だってあります。猫も人も「楽しい!」に越したことはありません。世の中、全部が楽しくても、全然OKなのですから。

さて、ここしばらくの私は「演歌」を好んで聴いています。私が演歌に心を揺さぶられる(大げさ)のは、ズバリ、「上手くいかなかった人たち」を楽な気持ちにさせてくれるところだったりします。

人はみな、「上手くやろう」「カッコよくやろう」「成功しよう」と思って生きている訳ですが、大体はそれが失敗に終わります。それでも、気を取り直して、「そこそこだったよね」とか「十分に幸せだったよ」なんて、自分に言い聞かせたりします。

まぁ、それで治まる程度の「上手くいかなかった」なら、ちっとも失敗の中には入らないので、「それはよかったね」と自分も他人も放っておけば無問題です。どちらかと言えば「成功」の部類です。

ところが、シャレにならないくらい「上手くいかなった」人生を送り、しかも既にやり直すだけの時間も元気もない。それでも、まだ朝が来て、やがて夜になる。そんなときの味方こそが「演歌」の様に思うのです。

とうの昔に「上手くいかなった」理由の分析やら、後悔やら、他人を恨む/嫉む、運命を呪うといったことはやり尽くしていて、それでも「ポツン」と自分は立っている。そんなときに体に沁み込んできて、「いいんだよ、それでもここに居場所があるじゃないか」と人を包み込んでくれる、それが「演歌」の様に思うのです。

私なんぞは他人にヒドイことを沢山してきたものの、自分は大して痛い目にあっていないという「救われない人」だったりしますが、演歌を聴くと(そんなおまえでも)「片隅にいてもよし」と言われている様で、何だかホッとするのです。

先日お亡くなりになった八代亜紀さんの「舟歌」とか、どれだけ「上手くいかなった」人たちを救ってきたことでしょう。そう、それでも「生」は続くのですから。

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明日(2/23)は愛猫が許してくれれば、朝寝坊をしたいところです。でもね、ゴミ出しもしなければいけなんですよ。上手くいかないものです。

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