昨日、近所のコンビニで固定資産税(一期分)と車の重量税を払い込みました。固定資産税が103,600円、重量税が45,400円。合計で149,000円。固定資産税は更に3回分を納入せねばならないので、年間では家と車でざくっと45万円。すごいな。

図書館で「『最後は自宅で』30の逝き方」(髙橋浩一さん)という本を見つけて、借りてきました。「最期は自宅で」という言葉にびくんとしたのです。

恐らく、私自身は「最期は自宅で」は叶わないことなのですが、できる限り、その日を迎えるギリギリまでは自宅にいたいと願っているのです。

以前のエントリで「ピンピンコロリ」の最期がいいなぁなどと書いたのですが、この本が教えてくれるのは、実際には殆どの人は「ヨロヨロ・ドタリ」で、その後にすらまだ余生がある、ということです。

そうなんですよね、私の父母も親族も、誰一人「ピンピンコロリ」なんて最期ではなく、何ヶ月も病院のベッドの上で、いろいろな管がつなげられ、毎日痛い注射を何本もされて、この世から去っていきました。

だから、「ピンピンコロリ」がいいなぁ、などと「ありもしない最期」を夢見て?いるのではなく、改めて「自分の最期」をイメージしたいと思った訳です。

この本から私が学んだことを私自身の備忘メモとして書き出してみます。(順不同)
●「最期は自宅で」という強い要望があり、それを事前に家族や医療機関の人間に伝えておけば、「在宅緩和ケア」というやり方で、望みを叶えられる。

●「最期」は近くなってから、突然に気付かされる。食欲が2週間程度も落ちているならば、「最期」の前兆かも知れない。

●「最期」の後を決めておかないと残されたものが大変な目にあう(相続ということではなく、冷たくなっているのを発見したら、どこに連絡するのか)。

●(当たり前だけれど)最期が近付くと「動けない」し、「傷み」がある。「自宅で最期を迎える」ということは不便も不自由も不快も受け入れるということ。

きっと、「最期」を悟るといろんなことが頭を去来するのでしょうね。まぁ、こればかりはそのときになってみないと分かりません。けれど、自分がどんな状態になるのか、周囲には何を頼まなければならないのか、それをイメージして、覚悟して、手を打っておかねばならないことが改めて分かった気がします。よい学びを与えてくれた本でした。

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また月曜日が来て、一週間が始まりました。今のところ、今週は比較的、平穏な気配がしていますが、果たして何が起きますやら。うまくいくことばかりではありませんが、そんなにヒドいことも起きたりはしないのです。何しろ平凡な62歳の毎日ですから。

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