ルテインのサプリ(眼に効く)が無くなってしまったので、Amazonでポチりましたが、昨日の午後に頼んで今日の午前中に届きました。家から10kmも離れていないところにAmazonの巨大な物流倉庫があるとはいえ、何だか驚くばかりです。

カミさんとたまに「どこかに生活の拠点を移してみる」という妄想話をします。真剣に考えている訳でもないので、お互いに好き放題を言っては、相手の「ここはどう?」にダメ出しをするという遊びの様なものです。

いつだったか、湾内の堤防の上から釣りをするのには費用が掛からない?といったことを海沿いに住んでいる人から聞いたことがあって、確かめもせずに「これはいいや」と思っているのです。何せ浪費家のくせにケチなので。毎日おかずは釣ってきた魚でOK!

海沿いの街に住んで、15時くらいになったら釣り竿とバケツを持って、湾内の堤防で漁師さんの邪魔にならないところに釣りにいく。日暮れ頃まで、音楽を聴いたり、本を読んだりしながら、釣りをして、カミさんと二人、少し愛猫にも分けてあげる程度の獲物をGETして、家に帰っていく。そんなことをカミさんに話すことがあります。

すると、どうやらカミさんは「海の近く」には魅力を感じていない様子で、「洗濯ものが塩でパサパサにならない?」とか「津波が来たらどうするの?」とか「そもそもアンタ、魚、そんなに好きじゃないでしょ」とかさかんにダメ出しをしてきます。言われれば、そのとおりなんですけどね。

それで、カミさんの考える「妄想の移住地」はと言えば、「東京からそんなに離れていなくて」「自然が豊かで」「病院や公共施設、スーパーが近くにあって」「近所付き合いがうるさくなくて」「雪が降らず」「車で少し走れば、美味しいパン屋さんや飲食店がある」といった場所なのだそうです。それじゃ、今のままの暮らしが最適に思えたりします。

カミさんにしても、これらの条件の幾つかは曲げることができる様子なのですが、どうしても「これは譲れない」というのがあって、それが「Amazonで頼んだものが届くところ」ということなのだそうです。さすがに、今、住んでいるところの様な脅威的な速さで荷物が届くことはないにせよ、余程の離島でもない限り、常識的な配送時間の範囲で荷物が届けられることを話すと「それじゃ、どこでもいいかな」なんて言ったりします。

まぁ、現実に生活拠点を移すなんてことになったら、「Amazon」以外にもいろいろと条件が課されることになるんですけどね。それで、きっと結局は「やーめた」ということになる。若い頃ならいざ知らず、60歳を越えた夫婦が見ず知らずの土地で暮らすというのは、やはり「無理」だって、二人とも分かっているのです。それに、愛猫も年老いてきて、負担を掛けたくないし。

ネットがあって、整備された物流網が可能にする「Amazon」の様な通販の仕組みがあって、ChatGPTの様な生活支援の強力なツールがあって、必要な収入を得る術があるならば、本当はどこにでも住めるように思います。けれど、住めば都で、今の場所が居心地がいいんですよね。何せ、60年の人生のほとんどすべてをこの場所で過ごしているのですから。原住民だな。

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