いわゆる「現役」を終えた後、しばらくは「折り合いをつける」期間となります。「折り合いをつける」、私が気に入っている「実用日本語表現辞典」ではこんな説明がされています。
「交渉において、互いにある程度譲り合って双方が納得できる妥協点を定めること。互いに意見や立場が対立しないポイントを見出すこと」 そういうことです。自分の中で、これまでの自分と、これからの自分の「妥協点」を見出す作業です。つまりはしっかりと納得をすることです。

これまでも何度か「まぁ、これでいいよね」と「折り合いが付いた」様に思ってきたのですが、なかなかに落ち着きません。それが早期退職をしてから1年が経って、ようやく手応えのある妥協点、着地点らしきものが見えてきました。今度こそ「本物」の様に思えます。長かったのか、短かったのか、取り敢えずここまでたどり着きました。
これから「本当に」楽しくなりそうです。思えば、今まで少し無理をして「楽しい」フリをしてきた様に思います。お疲れサマンサです。お疲れサマーズです。お疲れサマーランドです。

「折り合いがついた」というのが「どの様なものなのか」は誰かに説明をするのは難しいのですが、「これまでの自分」がいろいろと現状を理解して暴れることを諦めて、ようやく和平のテーブルに着いてくれたという感じです。「これまでの自分」も、このままじゃいけない!と思ったらしいのです。

「わかるわかる」という諸先輩もいて、「面倒なこと言ってんじゃねーよ」とか「理屈こねてんじゃねーよ」とかいうヤンキーな人たちもいることでしょう。いいんです、いいんです。こういうプロセスを経ておかないと、いつまでも「ゾンビ」が出てしまいます。

結局、折り合いをつけることができたキーポイントは「働き方」「仕事観」の見直しでした。

「必要なだけ働く」と言っていた割に、結構(再就職の)仕事に神経を削ってしまい、自滅気味だったのです。健康面でも悪い影響が出始めていました。決していい加減に働いてよい訳はありませんが、わざわざ苦しい働き方、仕事を選ぶ必要はなかったのです。

早期退職までして、早期退職前と同じ「構え」で働くのであれば、そもそも、早期退職などしなければよいのです。(早期退職割増金に目がくらんだ場合を除く)

そして、「これまでの自分」が仕事を通じて自分を認めてもらうという煩悩をまだ捨てさせてくれなかったのです。もし、これを貫きたいのであれば、「好きなこと」「得意なこと」で働くべきなのです。何度も自らがこのブログで「(再就職、再雇用の)中高年は与えられた役割をきちんと果たすことだけを望まれている」と書いていたのにね。一体、誰と戦っていたんだよっていう訳です。 

さてと、1年の時間を要したもののようやく「自由に生きて」を始められそうです。手始めに気乗りせずに積み上げていた本の山に挑みたいと思います。それから、もっと肩の力を抜いて、ワクテカなブログも書きたいしね。

結構、呑気なことを書いていた割にはいろいろと考えていたのです。いろいろと思い巡らすことをそろそろ「お終い」にしないと身が持たんぜよ。龍馬曰く「時勢に応じて自分を変革しろ」 ですね。

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