今日(7/29)は水曜日、週4日勤務のワタシはお休みの日なので、朝から家でゆっくり(ダラダラ)としていました。とは言っても、午前2時には愛猫が「お腹すいたー」と鳴くのでゴハンを差し上げて、体内時計のおかげで6時には目を覚ましてしまいました。「午前中が長い」というのは本当に素晴らしいことです。
さて、誰もが何かしら自分の専門、造詣が深いものがあります。そうでないと生きていけませんからね。勤めているヒトならば、自分の担当する業務に関して、いつの間にか知識や経験を積んで、それなりの専門家になります。また、家を守っている主婦・主夫のヒトであれば、家事全般に関して、やはりいろいろなことを知っています。ときおり家事の真似事をする様なワタシなど、カミさんとお喋りをしていると家事の奥深さに驚かされることばかりです。
それで、その対象とする「世界」というのは、何もかもが奥深いものなのです。そして、知れば知る程に、更にその奥があって、いつまで経っても底には辿り着きません。聖書に出てくる「求めよ、さらば与えられん」という言葉は本当なのです。
自分が果たして何の専門家なのか、自分では分からなかったりします。ワタシも64年間生きてきましたが、果たして、自分が何に精通しているのかよく分かりません。確かに自分が仕事で携わってきたことや、趣味として楽しんできたものに関しては「いっぱし」のことは言えますが、もっとスゴイ知識や経験をしてきたヒトのことを考えると、とても「専門家です」とか「よく知っています」などとは口には出せません。
それで、先日、とある会議で「会計処理の専門家としてはどう思いますか」と上席のヒトに意見を求められたのです。よく知っている、普段から担当している業務のことだったので、それなりに考えを言うことができたのですが、話しながらもとても恥ずかしい思いがしていたのです。
もしかしたら、ワタシがもっと知識や経験を貯えていたら、別の答え、もっと良い答えがあったのかも知れないと考えると、恥かしくなるだけでなく、とても怖くなりました。ワタシは薄い氷が張った池の上を、何も知らずに歩いていたのですから。
こういう思いをして、時には「それ、違うでしょ?」などとやり込められたりして、それでもそのことを愚直に続けていくと、それこそが専門を極めることの第一歩なのかも知れません。とは言っても、ワタシにはそんな道を歩いていく時間も大して残されておらず、そもそも道がどこかに通じていることもありません。けれど、道すがらに見える景色が楽しめれば、それでいいかなと思ったりします。周りには「頼りないなぁ」と思われているかも知れませんけれど。
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体によいというので、せっせと納豆を食べています。納豆って、意外と賞味期限が短いんですよね。うっかりすると、冷蔵庫にあったものが賞味期限を数日過ぎてしまいます。もともと腐っている?ものなので、数日くらいはOKだろうと高を括って食べてしまいます。
少し心配だったので、ネットで調べたところ「3日ぐらいなら大丈夫」らしいのですが、それ以降は「食べたり、匂いを嗅いだりして判断してね」などと書かれています。やだな、悪くなっているものを口にしてしまうって。できるだけ、早めに食べることにします。
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