客先から送り返されてきた製品(返品)のシリアルナンバーを誰もいない倉庫で一つ一つチェックする。時間は既に23時を回っていても、終わるまで帰れない。明日も、明後日もしばらくはこの仕事を一人でやる。「あれ、この番号、さっきも出てきたぞ」 さて、どこからやり直しますかね。

自分に多大な責任があって、これが原因で大きな損失が発生したりすると、当事者が仕事のアサインを変えさせられることがあります。というか、普通、しばらくはその仕事を離れて、別の業務を担当することになります。

それが、辛いだけで、楽しくもない場合、みんな口をそろえて言うのです。「これは、罰ゲームだよ」ってね。まぁ、いろいろと会社で頑張っていれば、こんなこともあるのです。そして、会社だけでなく、普通に生きていても「罰ゲーム」って言わなければ納得できないことは起きるのです。

本来、罰ゲームとは「何らかのゲームの敗者に与えられる何らかの罰」のことを指します。まぁ、ゲーム(遊び)の敗者への罰なので、何かその場が受けそうなことを「サクっ」とやれば終わりになるものです。

最近よく使われる「罰ゲーム」という表現が意味するのは、「ゲームに負けた訳でもない」「自分に責任がある場合に加え、不可避に発生するものも対象」「一時ではなく(終了時期が未定で)永続する」「命に係わるほどの深刻さはないが、他の誰もがやらない苦役を行う」、まぁ、こんなところだと思います。

この意味で使われている文例(ネットで採集)を幾つか並べてみます。
●人生が罰ゲーム ●職場のイヤな奴に会いに行く出勤は罰ゲーム ●労働なんて人生の罰ゲーム ●つらい仕事は楽してきた人間への罰ゲーム ●働きながら子育ては「罰ゲーム」 ●結婚生活とは罰ゲーム ●「人生100年時代」とかいう罰ゲーム人生…. そうか、世界中、罰ゲームだらけだったのか。

それから、社会的な批判を浴びた芸能人が「禊(みそぎ)」として、肉体労働系の仕事(介護など)を少しだけやってみせる度に、その仕事に従事している人たちから「オレたちの仕事は罰ゲームかよ」といった怒りの声が上がったりします。

「罰ゲーム」をこの文脈で使うというのは、「最近」「若い人」が「仕事、労働」を対象にしているケースが多い様に思います。人生を「罰ゲーム」と言ってしまう程の深い絶望感が、今の若者の一部には生まれているのです。そして、彼らの視線の先には、現時点においても低賃金で黙々と働き続ける老人たちの姿が見えているのです。それは未来の自分たちの姿なのです。

社会の枠組みが固定化してしまい、日本にも階級が生まれ、それが次の世代に引き継がれていく。明らかに今までとは違うことが起きているのです。そして、今は幸せに浴している人たちもこれは他人事ではないことを肝に銘じなければなりません。既に「中流階級」なんてものは消滅しているのですから。

この様な深刻なものでなくとも、私も今までの人生で「罰ゲーム」と感じた日々が何度かありました。当時は「罰ゲーム」なんて上手い言い回しを知らなかったので、ただただ「いやー、参った参った」とドリフの加トちゃんみたいなことをいって、やり過ごしていました。

それで? 一度は何故かその仕事自体が無くなってしまい、社内で無職化した私を拾ってくれた人がいて「罰ゲーム」は終了となり、一度は自力&全力で抜け出して強制終了としました。

そもそも、何をしでかしたの? 内緒です。けれど、すべて自責に基づくものでしたので、最初は潔く受け入れていましたが、人間、そんなに「しおらしい」ものではないので、当時は腐ったり、憤ったりしたのです。

きっと、私だけでなく、中高年ともなれば、みんな「辛い日々」があったのでしょう。そして、その先に今がある。今、辛い思いをしている人たちがいたら、こんな言葉を伝えたいと思います。
「夜明け前が一番暗い」、そして「明けない夜はない」ってね。

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