実際には「猶予期間」どころか「空白期間」です。そう、中高年になって、これまでの仕事を辞めて65歳で「年金」を満額でもらうまでの期間。いざ、突入してみると、お金の算段をして心配をする以上に「心地悪い」んですよね、何だか。

「心地悪さ」の正体を考えます。先ずは「これから何をせずともじっと待って入れば、不労所得が(ほぼ)確実にもらえる」という『後ろめたさ』。特にテレビやネットで若い人たちが「自分たちの世代は年金なんてもらえると思っていない」なんて言っているのを聞くと胸の奥がズキっとします。

「世代間格差」みたいなものがそこには横たわっていて、これから老いさらばえていく世代が次の世代を踏み台にするという「生物界では有り得ないこと」が起きているのかも知れません。何かズルいことをしている訳ではないにしても、「心地悪い」。

それから、「65歳」になれば確実にこの世にお別れを言う日が「今日」よりも近付いているというのに、それを待ってしまうという『浅ましさ』。そして、その日まで何とか「上手く時間をやり過ごす」ためのいろいろな施策(投資やら節約やら)に身をやつすという『哀れさ』。どうしてもそんなことに関心が向いてしまって、「心地悪い」。

加えて、時間に区切られて「残りX年」などと考えると、なかなかに現役の頃の様に今の仕事に「正面から向かい合う」ことができない『虚しさ』。昔も「正面から向かい合っていた」かは何とも言えませんが。これについては、働いているこちら以上に雇用する側が「百も承知」に違いありません。「まぁ、こんなもんでしょ。そもそも大して期待してないし…」ってね。

少子高齢化による労働力不足に「老人パワーの活用!」なんて目論見、それほど上手くはいきませんよ。それまでと少しも変わらず元気なのにゲームの外側にいるみたいで、「心地悪い」。

とは言っても、「心地悪さ」の正体が分かったところで、どうしようもありません。きっと、今はそういう期間、即ち、「65歳までのモラトリアム」(少し気持ち悪い)という訳なのです。存分にこの混濁した時間に浸ることにします。満喫することにします。それに本でも読んで、庭でもいじっていれば、光の速さで時間は経過していくのですから。

こんなこと呑気に考えていると、或る日突然に、年金の満額給付が67歳やら70歳やらになってしまうかも知れません。あまりモラトリアム期間が長くなるのは考えものです。

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