「ミニマリストの様に生きる」という話ではありません。お金が余っている訳ではないので、結果として「ミニマリスト」になっているのかも知れませんが。すると何が「シンプルライフ」なのかと言えば、誰かに何か言われたら「おおっ、そうでしたか」と答えるというだけのことなのです。
以前のエントリでも書いたのですが、『人が最も怒りの感情を抑えられないこと』は何か?という問いに対して、私は自分なりの答えを持っています。それは、「目下と思っていた人から鼻を明かされる」というものです。
会社で後輩や部下から「それ、こうした方がいいですよ」なんて言われる、どこかの国が属国と考えている国から「これが正しい主張だ」などと言われる、国会でどこかの若造に「これは品位の問題ですよ」みたいなことを言われる。
自分の身の周りで起きていることだったり、そして、テレビでニュースを見ながら「ああ、また、そこで発火したのね」などと思うことが度々あります。まぁ、「人間だもの」という訳です。無理もない。
これ、先ずは自分が「言う立場」の場合には、相手の様子をうかがって、「コイツ、オレのこと『下』に見ているな」と思ったら扱いに注意が必要です。「目下と思う」というのは相手が勝手に決めることなので、こちらではどうしようもありません。とにかく必要以上に近寄らない。もう、バイアスが掛かっている相手には何を言ってもムダですから。他人と過去は変えられません。
それで、私が考える「60歳のシンプルライフ」とは、逆の立場、何か言われる立場のときに、自分の中に勝手に醸成された「だれかを目下と思う心」を上手くやり過ごしていくことなのです。相手が誰であっても「教えられる、指摘される、意見される」といった場合に、先ずは「おおっ、そうでしたか」と口に出してしまうということなのです。
そう、最近はどこに行っても、年齢的には自分よりも年下の人ばかりで、なかなかに素直に話を聞けないというか、「オレの方が年上なんだぞ」みたいな思いが心のどこかにへばりついているのです。更には加齢により脳が怒りっぽくなっています。
ついては転ばぬ先の杖として「おおっ、そうでしたか」を用いるという訳です。これを先ず口にすることで、心が泡立つことの殆どを回避することができます。何だか自分が人格者になった様な気分になって、余計な感情が頭に浮かんで来なくなります。
この「先ずは何か口に出す」というのは、最近のスポーツ選手のインタビュの受け答えから学んだのです。最近といっても結構前ですが、フィギュアスケートの浅田真央選手がインタビュを受けたときに、必ず最初に「そうですね」と言うのに気付いたのです。
気にして聞いているから、そう思うのかも知れませんが、最近では多くのスポーツ選手がインタビュを受けると、先ずは「そうですね」と言うようになった気がします。何かこういうことをコーチングする人がいるのかなと思う程です。
これ、何か適切なことを言うまでに自分を落ち着かせるための「時間稼ぎ」でもあるのでしょうが、先ずは相手が誰であろうと、何を聞かれても「そうですね」と受け入れる。相手は味方で、一緒にインタビュを作っていると自分に暗示を掛ける、そんな気がしています。
神の様な存在である一流のアスリートからすると、インタビュをする「凡庸な人たち」から、多くの場合「お前、何言ってんだよ、そんな訳ないだろ」みたいなことを尋ねられることでしょう。けれど、怒りもせずに適切な受け答えをする、そのために「そうですね」はよい魔法だなと勝手に私は感心しているのです。
それで、それを真似て、私に何かを教えてくれる、指摘してくれる人に対しては、カチンと来る前に間髪を入れずに「おおっ、そうでしたか」と言うことにしているのです。何だか戦闘拒否、ただ媚びているだけの様にも思えますが、それで自分の心に負の感情が生まれなければ、それに越したことはありません。
確定申告に時間が掛かっています。私とカミさんで通った医療費、薬代の領収書を集めたり、会社からもらっているハズ?の「給与所得の源泉徴収票」がどうしても見つからなかったり、必要な項目への入力を忘れたり、今日の午後は3時間も費やしてしまいました。
それで、まだ終わりません。キライな作業ではないのですが、去年のやり方をスカッと忘れている自分に呆れました。それに、医療費控除って言っても大して戻って来ないんですよ。