今年も梨の花が満開です。何度も書いていますが、世の中にあるすべての「白」の中でも格別の「白」です。それから、どこからかやってきた「シャガ」というアヤメの仲間の花がたくさん咲き始めました。こちらも白地に紫と黄色の模様が入った清楚な花です。

自生したのを喜んでいたら、シャガは繁殖力が強いので、増えすぎない様に管理が必要なのだそうです。大して何も植えてない庭の部分ににょきにょきと生えてきたので、しばらくは「そのまま」にしておきます。そうそう、それからレモンの花もすぐ咲きそうです。いい季節だな。

さて、生きているということは大なり小なり「失敗」の連続です。この年になっても「失敗」のない一日なんて、お目に掛かったこともありません。私の場合、「失敗」やら「イヤなこと」が、特に金曜日には深刻なものが起きるというジンクスがあって、毎週金曜日は最大限臆病に暮らしています。昨日だって「あんなこと」が…

最近、改めて「自己責任」って何だろうと考えることが増えてきました。本人には何の非もない「ついてない」の後始末は「自己責任」などと言わず、お国が中心になって何とか手厚く支援してあげられないかなと思うのです。そう、震災で築100年の家が倒壊したなんてケースです。耐震対策をしていなかったのが悪い? それは酷ですって。

一方では、儲けるために「違法」を承知でしたことが破綻してしまったが、自分は被害者で、国が救済して欲しいとする人たちもいます。当事者からすると「ついてない」なんでしょうけどね。

これ、「いい気味だ」「自己責任で何とかしろ」なんて嘲笑するのではなく、私は「自己責任の重さ」を考えるケーススタディとして、こういうニュースや記事を読むようにしているのです。知らない誰かにネガティブな感情を持っても、ただ空しいだけですしね。

誰にでも「魔が差す」ということはあって、「何であんなことをしてしまったんだろう」ということはありますが、そこには「欲」「(自分だけ)上手いことをやりたい」というものが潜んでいる様に思います。

「欲」があるからこそ人は前に進める訳ですが、その決断をするときに、このことにまつわるすべての帰結は(自分でまかなえる)「自己責任」だと思える覚悟があるのかを慎重に自分に問わねばなりません。

何でそんなに大げさに考えるのか? 答えは簡単です。私は「自己責任」に基づくリカバリーを果たすだけの「時間」(勿論資産も)を、もはや持ち得ていないからです。何かことが起きて、私が幾ら「自己責任だと思っています」などとしおらしく言ったところで、実際には何もできません。自己責任すら負えないのですよ、今となっては。

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そろそろ愛猫が外を眺める窓に「網戸」を戻さなければなりません。面格子はあるものの視界を妨げるものがない「清々とした空間」を取り上げることになります。しばしの不快を許してね。

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