今や、どこにいっても何に関しても「見える化」に次ぐ「見える化」です。確かに真実を知ることで正しい意思決定ができ、打ち手が講じられるのですから、何も知らずにいるよりは見えている方がよいに決まっています。

お金の管理に関する基本中の基本として、中国の古典である「礼記」の中にある「入るを量りて出るを為す」という言葉があります。文字通りに「収入を理解した上で、それに応じた支出をする」ということですが、これほどまでに決済手段が多様になり、しかも信用ベースで後払いができてしまうと、気付かぬ間に「出」が「入り」を上回ってしまいそうです。

結局、いろいろとお金に関することの「見える化」をしてみても、最後に行きつくのは「入るを量りて出るを為す」に尽きると改めて思うのです。特にこれからはこの制約があった上で、出来る限り豊かな時間を過ごすということになります。制約があるからゲームは楽しいということもありますし。

「ようつべ」に年金に関する動画が幾つも上がっていて、たまに眺めるのですが、「受給額から税金、社会保険額などが差し引かれて…」と一所懸命に説明してくれても、結局は「手取りで幾らなの?」という部分だけが、みんな聞きたいことなのです。ざっくりとねんきん定期便やねんきんネットで教えてくれる「受給額」の8割が「手取り」という感じでしょうか。

引かれるものは、どうにもできませんしね。この金額の範囲内で暮らすか、就労収入を得て、ここに上乗せするのか。はたまた、投資の配当などによる不労所得を更に上乗せすることができるのか。いずれにせよ「入るを量りて出るを為す」のみです。

誰の本で読んだのか定かではなくなってしまいましたが、クレジットカード払いだのローンだのキャッシングだのと言葉は変われど、結局「借金とは金融機関からするものではなく、未来の自分からするもの」という内容に深く納得したのです。

私も5年程前に20年以上にわたる住宅ローンの支払いが終わったのですが、思えば「5年前の私」ときたら、よく「あの頃の私」にお金を貸してあげたものです。けれど、これから10年後、20年後の私に対して、もはや「今の私」はお金を貸して欲しいとは言えません。だって、可哀想じゃないですか、そんな年寄りを心配させるなんて。

先月、思い立ってお小遣いの「見える化」をしたのですが、結果として「仕事に行く日に使うお金」というのが結構に多くの割合であることが分かりました。飲物を買ったり、美味しそうなものを食べたり、お菓子を買ったりしているのです。働くにもお金がかかります。

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