50代で再就職しようとすると、どれだけ求人に応募をしても「箸にも棒にも掛からない」なんて話をよく聞きます。これ、61歳の私には、まったく「ピン」と来ません。えっ、50代なんて幾らでも求人があるじゃない!って。

こんなことを語る人の記事を読んだり、動画を見たりしていると、「仕事」に関する認識が61歳の私とは根本的に違っていることに気付きます。50代周辺の人は「転職」なんですよ、意識が。だから、それまでと同じ様に、仕事と自分にとても期待してしまう。

仕事内容も給料も、それまでと同程度のものであることを期待し、自分を「それなりの人」として処遇してくれることを期待する。だから、そんな匂いがする求人を選んでは応募するものの敢えなく撃沈してしまう。自分が50代だったら、同じ目にあうだろうな、きっと。

年金受給開始は遥か先で、住宅ローンもまだ残っていて、周囲の同年代はまだバリバリと働いている、そんな状態だったら、猶更そう考えるでしょうね。けれど、現実はそんなに都合のよい場所など、確かにどこにもないのです。まぁ、本人が特殊技能でも持っていれば別ですけれど。

私も2年前には多少なりとも「そんなこと」を考えていて、随分と「ありゃりゃ」と思ったものです。当時、既に59歳、おこがましいものですよ、本当に。自分のことを自分が一番知らないというか。けれど、やがて気付く訳です。今の私にとっての仕事とは、紛れもなく「老後の仕事」だってね。

「老後の仕事」をする、これを気取って言い換えるならば、人生の一時期を終えた後に「必要なだけ働く」ということを受け入れる、なんてところでしょうか。何に関して「必要なだけ」というのは、千差万別、十人十色、各人各様、これがシニア(老人)の特権です。背に腹は代えられないという部分もあるけれど。

もはや、誰とも比べる必要もなく、所謂フツーすら存在もせず、今の私が持っているのは「これをやりたいんだけど、それには必要なだけ稼がなきゃ」、そんなシンプルな仕事観だったりします。

確かに、まだまだいろんなものを背負っている50代の人と私では、同じ「仕事」という言葉であっても、まったく違ったもののことを指しているのかも知れません。50代のみんな、頑張ってね。「オマエもなー」って、言い返されそうですけれど。


エアコンの切タイマーを付けて眠ると、エアコンが切れてから2時間後あたりで、余りの不快さに目を覚ましてしまいます。それから再びエアコンのスイッチを入れて、眠ってしまう。懲りずに、これを繰り返しています。

でも、ケチだから、エアコンを点けっぱなしにするのも心配です。電気代も心配だし、エアコンが壊れないか心配だし。夏の夜は悩ましいなぁ。

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