今は18時過ぎですが、私が住む東京都下では久し振りに本格的な雨が降り始めました。やたっ! というか、こりゃゲリラ豪雨です。日本気象協会のtenki.jpの雨雲レーダー情報を見ると、これからまだ1時間程度は降り続ける様子で、雨雲の中心辺りは「真っ赤」だったりします。

これで、庭木も家庭菜園のトウモロコシも一息つけます。アジサイなんか、葉っぱがしおれてしまい、ハーハーぜいぜい言ってましたからね。これで周辺の気温も下がれば、今晩は暑さに明け方に目を覚ますこともなく安眠ができそうです。愛猫も「ばんにゃい!」です。

さて、「10年後に無くなる仕事」だとか「これから食える仕事」みたいな議論、検討、考察が各所で真っ盛りです。こういう「危機感を煽る」みたいな内容、みんな大好きです。me too、私も好きですけどね。

それで、そんなことを論じる記事などを見ていると結構に違和感を感じることがあります。それは「労働力が足りないから、これを補うために60代を過ぎた高齢者までが働くことになる」というようなことをみんな「しれっ」と言っていることに引っ掛かるのです。

まぁ、こういう高所から地上を見下ろすような、規模の大きな議論をすると、どうしてもこういう考えになると思います。けれど「60代を過ぎた高齢者」である私としては、「別にこの国の労働力不足を補うために働く訳じゃないしなぁ」と呟いてしまいます。

「高齢者」は「外国人労働者」と同じ位置付け、何だか「もくもくした集まり」という感じでしょうか。データ上は確かに存在しているが、全然思った様には動いてくれない、動かせない。当たり前ですよね、「高齢者」も「外国人労働者」も自分の考えに基づいて、好き勝手に生きている訳ですし。

だから、こんな「当てにならない」人たちを「当てにした」議論、構想というのは、果たして成立するのかが疑わしい様に思います。自分がその立場にならないと、こんな単純なことも見えないのかも知れません。

立派な建物の中の気持ちのよい会議室で「ですから、社会基盤系の現場仕事の労働力不足は高齢者をあてがえばよろしいかと…」なんて議論がされているのかな。そんな便利な人たちはどこにもいませんけどね。

どうでしょ、一度、議論を上下ひっくり返してみては。高齢者が納得して、上機嫌で働くために必要な環境や、制度や、仕掛けや、仕組みを改めてみんなで考えることから始めてみる。それで初めて「当てになる」労働力として、これからの未来の一部に組み込んで考えることができる様になるのだと思うんですけど。高齢者を「甘やかし過ぎ」ですかね。

まぁ、ちょっと釈然としなかっただけなんですよ、最近の「未来を考える」論調に。「高齢者」と一括りに扱われることに、「うん?」と思っただけ。「まだ、働かなきゃいけないしなぁ」という現実を前にして、冷たい水で顔を洗えば正気に戻りますけどね。

さて、明日(7/22)は仕事(退職まで残り僅か)も休みだし、今晩はゴルフの全英オープンでも思いっきり堪能しますかね。解説をしてくれていた青木功プロと戸張捷さん、去年で放送から勇退していたんですね。何年も、何十年も楽しませてもらいました。ただただ感謝です。寂しいなぁ。

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