通勤途中でも「半袖」の人をちらほらと見受ける様になりました。オフィスの中にいたってはTシャツ姿の人もいて、もはや季節は夏です。コンビニで、アイスコーヒーを買って、そこにシロップを入れて、甘くて冷やっこい天国を味わいたいのですが、今年はそれも我慢です。
小さなシロップ一つで、角砂糖3ケ分の糖分なのだそうで、糖分カットが至上命令となっている私にとっては禁断の飲み物なのです。シロップを入れないアイスコーヒーか… 飲まない方がマシだよ。
よく「勤めをやめても、家ですることがない」という類の話を聞きますが、正直、そんな訳ないじゃんよと思ってしまいます。朝起きて、家族の朝食を作ってもよし、掃除や洗濯をしてもよし。TVやネットを見てもよし。何なら家の前を掃除したり、近所のゴミ拾いをしたっていい。
自分が楽しいと思うことは経済的な制約の範疇で、他人に迷惑を掛けたり、犯罪行為/違法行為でない限り何をやってもOK。つまり、「何もすることがない」ではなく、そういうことを言う人は「何もしないことを選んだ」だけのことなのです。
それで「何もしない」というのも立派な選択なので、胸を張って、どうどうと「何もしない」を満喫すればいいと思うのです。それに、「家ですることがない」なんて人は想像上の存在で、実在しないと私は睨んでいるのです。
けれど、この「家で何もすることがない人」という想像上の生き物は、とても大事な存在に違いありません。多くの退職老人にとって、この存在は「オレはそれよりもマシだ」と思わせてくれるありがたいアイコンなのです。だから、この存在はこれまでも、今も、これからもずっと大事?にされ続けるのです。
ここで「何もすることがない」というのが、私の様な大した野望もなく、能力もなく、志もないものが考えるソレと、有能で立派なヒトたちのソレがまったく違うことを指している可能性があることに気付きます。有能で立派なヒトたちの「何もすることがない」というのは、『それまでの輝かしい業績の数々の様なことをもはや為すことはない』という意味なのかも知れないのです。
私の考える「することで毎日がいっぱいだぁ!」みたいなことは、こういう人たちからすると「ただ生きてるだけ」であり、それは「何もすることがない」ということなのかも知れません。ううむ、分かりません。ヒトの悩みや苦しみは、その人じゃないと分からないものですからね。
私は「ただ生きてるだけ」を満喫できれば、それでいいようにも思いますけれど。それしかできないし。
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ホームベーカリーでのパン作り、まだ続いているんですよ。世の中的には「買ったけど使わなくなった家電製品」の代表とされているんですけどね。ちまちまとしたパン作りの工程が、実に私の性格にフィットしているのです。
それで、1週間ぐらい前から「ドライイースト」(酵母)をフランス産で非常に名の知れたものから、国産のものに変えたのです。「ドライイースト」を変えると、パンの味も変わるのかという素朴な疑問に基づくTRYなんですけどね。
結果は「変わる」んですよ、味が。味だけでなく、焼いているときの香りが全然違うし、包丁でパンを切るときの刃触りも違うのです。私的には国産のものの方が気に入りました。ホームベーカリーでのパン作りでも、いろいろと試す余地はまだたくさんあるなぁ。