私の住む街にある老舗の和菓子屋さんが知らぬ間に廃業していました。創業以来73年とのことなので、私が生まれるよりもずっと前からお店があったのです。数か月前に「栗入り最中」を買ったのが最後となりました。長い間、おいしいものを食べさせてくれてありがとうございました。こんなことなら、最後にもう一度、饅頭やら羊羹やら沢山食べておけばよかったよ、本当に後悔をしています。

最近、ふとしたときにこれまでの日々で私がしてきた所業に関して、後悔の念に駆られることが多くなりました。そして、そのときにイヤな思い、辛い思いをさせたであろう人たちに「できることならば謝りたい」と思い、一方で、深くため息をつくのです。謝りたい相手の多くが父母をはじめとして、既にこの世にはいないのです。恩も返せず、謝ることもできない、自分の罪深さと愚かさにただただ茫然とすることしかできません。

「ごめんねの日」というのがあるのです。12月10日なのだそうです。由来はファミレスチェーン店が「鉄板からお肉がはみ出してごめんね」というキャンペーンを発表した日らしいので、由緒も何もあったものではありません。けれど、「ごめんねの日」を制定した際に行われたアンケート調査の内容が、「みんなそうなんだな」と妙に感じ入ることがあったのでご紹介します。
※出典:「ごめんねの日」制定委員会 ごめんねの日アンケート(2009年11月)

<謝りたいのは誰ですか>
両親(39.5%)/夫(17.3%)&妻(13.2%)/恋人(15.5%)/子ども(14.5%)

これ、回答者が20代~30代ということなので、多くの人は気になっている人たちに「謝ること」が間に合ったに違いありません。よかったね。仕事をしていると社内外問わず一日中謝っているのに、身近な人、本当に大切な人には素直に「ごめんなさい」が言えない。何たる不幸なことでしょう。

まぁ、仕事の場での「謝る」は『本来の謝る』と「ちょっと違う」ものですけどね。社会の潤滑油みたいなもの。お前、本当は悪いと思っていないだろ! なんて言われると、いえいえ多いに反省していますよと答えるのです。口ではね。

<「ごめんなさい」と言えなかった理由は何ですか>
タイミングを逃した(61.1%)/意地を張った(57.4%)/大人になれなかった(42.6%)/感情が邪魔した(36.2%)

そうなんですよ、謝るって「そのとき」でないととても恥ずかしいというか、難しいものです。凄く後悔して、詫びたいと思っていることがあっても、その時から10年もした後に、急に思い立って「実はあのときのこと謝りたいんだ」なんて言えるものではありません。

もしかして、そのことを相手はすっかり忘れていて、こちらがしおらしく頭を下げたら、「そうだよ、思い出したよ、本当にお前ときたら…」なんて烈火のごとくに怒られて、そこから新たに大喧嘩! なんていうことにもなりかねません。まぁ、逆に、妙に静かな表情で「そんなこともあったかな」なんてトボケられるときっと泣いてしまうのです。

幾つもの後悔と、幾つもの言えなかった「ごめんなさい」。年老いて昔のことがだんだんに思い出せなくなって、こんな大事なことも忘れてしまうのかも知れません。思い出すのも辛いけれど、忘れてしまうのはもっと辛い様にも思います。

Sir Elton John曰く「sorry seems to be the hardest word」、こっちは恋人から別れの際に「ごめんなさい」と言われるのはツライなぁというよくある奴です。

U字工事曰く「ごめんねごめんね~!」、しっくりくるのはやっぱりこれだな。

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