間もなく今の職場で働き始めてから「6ヶ月」です。とにかく「毎日が忙しい」ことが、本当に幸せです。朝出社してから、数字相手に電卓やパソコンをパチパチと叩き、気付けば退勤時間になっています。決して居眠りをしている訳じゃありませんからね。

去年、数ヶ月の無職期間を過ごしていたとき、好きなことを何でも、心置きなく出来る!なんて喜んでいましたが、結局、何もやりませんでした。そのときに自分というものがよく分かりました。「好きなこと」というのは、制約があってこその楽しみなのだと。

制約とは何か?と改めて問うならば、先ずは時間です。無職期間中、幾らでも時間があったのに、趣味に精を出すなんて、まったくしなかったんですよね。それどころか、まったく少しも面白く思えなかったのです。結局、BSでMLBを見ていただけでした。

次にお金です。私の「好きなこと」「趣味」というのは、庭いじりとか、ジャンクPCの再生とか、読書・音楽鑑賞とか、そもそも大してお金が掛からないものです。それでも、お小遣いを何とかやり繰りして、道具を買ったり、好きなバンドのCDを揃えたりということが楽しかったのです。

それが、お小遣いだけあって、働きに行かないということになると、ランチ代とか飲み代とかが掛からない訳で、5万円程度のお小遣いであっても、結構に「使い出」があるのです。いろいろと買えちゃう。けれど、それが少しも楽しくない。Amazonでポチったものが家に届くも、開封もされずに段ボールが積み上がったりする始末でしたからね。

そして、「ストレス」という制約です。無職期間だって「これからどうなるんだろ?」とか「いい仕事ってないなぁ」とかストレスはあるのですが、何というか漠然とし過ぎていて、それ故にずーっと頭の中に霧がかかった様な状態なのです。

こういうストレスって、なかなか気分転換ができず、楽しいことをより楽しむためのスパイスにはならないんですよね。「締切が明日に迫っている」とか「目標が達成できそうにない」とか「(この仕事は自分だけしかできないので)休めない」とか、そういうキリキリした感じのストレスが「制約」としては好ましい訳です。

それで、こういう「制約」の中で「好きなこと」をこそこそとやる。こういう状態にあってこそ、「好きなこと」は「下手の横好き」として長く楽しめる様な気がします。連休とか、夏休みとかに少し集中して根を詰める程度が至福の様に思います。

どんな仕事をしているにせよ、私は75歳くらいまでは働いている様に思うのです。収入はともかく、何より時間が潰せませんしね。それから先、いよいよ誰も雇ってくれなくなって、家にずっといて、何の制約もなくなって「好きなこと」にすっかり嫌気が差したらどうしましょうか。認知症、まっしぐらですかね。

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お正月にもらった僅かな枚数の年賀状の中に「当り」が2枚ありました。末等の切手シートですけどね。これ、いつか引き換えなくちゃと思っていたのですが、ようやく今日郵便局の窓口に行けました。

ビジネス街のど真ん中にある巨大な郵便局、「大丈夫かな、こんな生活臭がゼロのところで…」なんて心配をしたのですが、あっさりと切手シートを手に入れることができました。正直、今年のデザインは「いま一つ」でしたが、新しい切手を手に入れて、元切手マニアとしては久々に「うれしい!」となりました。

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