上には上があって、下には下がある。日々そんな風に「高みの見物」的な感想が頭に去来します。呑気なものです。いいじゃないですか、「想定内」「そんなものだと思っていたよ」などと平静を気取っている様じゃ、毎日がつまらなくなってしまいます。それで、ちょっとしたことにも感動したり、がっかりしたり。どちらかと言えば、がっかりの方が多いかな。

隣の駅にある大きなデパートの地下で贈答用にお菓子(お煎餅)を買いました。人に差し上げるものの味くらい知っておいた方がよいかなと思って、自家用に小さな梱包のものも買ってみました。それで、これが驚く程に美味しくて、「びっくり」しました。これまでも「美味しいお煎餅」には随分出会ってきましたが、今回は別格です。「上には上」があるものです。

職場の近くに最近のラーメンブームで言うところの「XX系ラーメン」の店があって、この間、初めてランチに食べました。長年、いわゆる町中華に馴染んだ舌には、これがとても美味しいとは思えずに「がっかり」してしまいました。これは「ジャンル」「カテゴリ」で断じてはならず、私が食べた店よりも遥かに美味しい「上」、さらには「上の上」のところがあるかも知れませんが。それ以上に私が味音痴という恐れもあって…

どうしても、人は「比較」をしてしまいます。きっと、死ぬ直前まで「何か」と「何か」を比べているのです。こんな風に食べ物や事物についてだけでなく、「考え方」であったり、「組織」「会社」「境遇」の様なものについても、「上」「下」なんて考え方をしてしまう様に思います。まぁ、「人」については判断ポイントが多過ぎて、とても一概には「上下」なんて評せませんが。

そして、「食べ物」に感じる以上に、人は形の無いものに対して「舌が肥えて」しまう様に思います。そして、一度味わった世界よりも「下」と自分が判断するものには我慢ができない。だからこその「上昇志向」で、これが人間が「頑張れる」原動力なのでしょう。

けれど、常に上昇はできない訳で、時には下降したり、ひどいときには「一番下」に行ってしまったりする。これ、「幸せな世界」さえ知らなければ、辛いとか、我慢ならない!とかそんなことを思わなかったのかも知れませんが、しょうがありません。

同じ場所で再び「幸せ」を目指すのか、はたまた場所を変えるのか。それとも、「下には下があって、ここなんかまだマシ」として黙して暗い海に沈んでいることを選ぶのか。今思えば、待つというのも立派な打ち手です。もしかすると、突然に神の手が拾い上げてくれるかも知れません。

誰かの本にありましたが、高齢者の毎日というのは、紛うことなく「降りていく」ことで、それであれば「悠々と降りていく」ことが理想の姿なのでしょう。何だかんだ励ましの言葉があったとしても、もはや若い頃とは違うのです。

「上には上があり、下には下がある」、高齢者、セミリタイアした身であっても、これからも何につけ、そんなことを考え続けるのです。けれど、肩の力を抜いて「悠々と降りていく」、これが大事と思います。それに、そんなに高齢者には「いいこと」なんか待っていないことを覚えておかねばなりません。

「降りていく」のですから、足元をしっかり見つめて、視線を余り上げ過ぎない様にする。俯く必要などありませんけどね。

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