昨日(12/2)、少し風邪の予感がして、ぶるったのですが、今日は朝から快調で、どうやら取り越し苦労だった様子です。とは言っても、昨日は「できるだけのこと」をしたんですけどね。

薬局で買った「クエン酸が沢山入っているドリンク剤」を飲み、お風呂にゆっくり入り、ビタミン錠を飲み、暖かい恰好して早目にベッドに入り、今朝は8時まで眠りました。(途中、6時に一度愛猫に起こされましたが、お互いに二度寝しました)

また、明日から仕事なので、今晩も同じ様なケアをして、十分な休養を取ることにします。何せ、まだ有給休暇を持たない身なので、1日欠勤すると、いきなり1万円以上給料から減額をされてしまいます。やっぱり、最後は「金目」が思考や行動を決定しちゃうんですよね。

最近、どんなことでも「上手くやらない」と意識して過ごしているのですが、これが、とにかく「楽」だったりします。「楽をするために上手くやるんじゃないの?」それはごもっともですが、「上手くやる」というのは、とても気疲れするものだったりします。

よく「できる人」たちは「面倒な仕事は、早めにどんどん他人に振ってしまうのが大事」、なんて言いますけれど、こういうことを悪だくみ(?)すること自体が、実は却って疲労を生み出すこともあったりする様に思うのです。

思えば、私も昔は、というか、つい最近まで「面倒なことから逃れる様に上手くやる」ことを考えて立ち振る舞っていたことが多かった様に思います。けれど、今回、10月半ばからの再就職以降、敢て「上手くやらない」様にしているのですが、これが結構に快適なのです。

「まだ仕事に慣れていないんだから当たり前でしょ!」と言われればそれまでなんですけど、とにかく「誰かにやってもらう」というのはせずに、教えてもらったことを頼りに自力で匍匐前進を続けているのです。

有難いことに時間が多少掛かっても、周囲から「早くしろよ!」とか「遅せーよ!」と言った「そしり」を受けることもないので、とにかく自分で最後まで終わらせてみる。するとようやく「成程ね」と見えてくるものがあるのです。

とにかく、これを1年ぐらいは続けてみようと思っているのです。そうか、「上手くやろう」なんて思わなければ、仕事って楽しいものだったんだな。今更カヨ。

仕事だけではなく、のろまで遅々として先に進まない「日常」でも同じことです。消化速度の違う二つの行列の「遅い方」に並んでしまっても、「まぁ、そんなもの」「この列を選択したのは自分」と思っていると「イジイジ」しなくて済みますしね。

とにかく「上手くやろう」「上手く立ち回ろう」とさえ思わなければ、平和に暮らしていけることを改めて実感しているのです。「要領が悪いなぁ」なんて言われても、まぁ、「時間が掛かるものはしょうがない」ので、それを一つずつ終わらせていく方が「今の私」にとっては楽なのです。きっと、周囲の理解があって許される話なんでしょうけどね。

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「上手くやる」のと「効率的にやる」は別の話で、今担当している仕事のパフォーマンスを上げる(効率的にやる)ために、再びEXCELの知識を思い出す、強化する必要があったりします。

久し振りに「EXCEL本」を読み直しているのですが、具体的な利用シーンを思い浮かべると、「こうやればいいのね」とすっと関数の適用イメージが掴めます。「必要は発明の母」だったりします。大げさな例えダナ。

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