新し目の一軒家の外壁に、金属製の装飾らしきものが付いていることがあります。何か意味があるのかな、何かのおまじないみたいなものかな、見る人が見ると「そういうことね」などとなるのかな、などと不思議に思っていました。

それで、意を決してネットで調べたところ、これは「ウォールアクセサリー」というものだということが分かりました。ついでにお値段まで調べたところ、工費は別として、大体3万円くらいです。何か秘密が隠されているのかと思いましたが、単なる飾りだったんですね。けれど、そう見せておいて、実は中には特別な意味を持ったものがあったりして…そんなこと、ないよね。

さて、いよいよ世界もきな臭くなってきました。そもそも「何も起きない」というベタ凪の期間が、こんなに長い間続いたこと自体が奇跡だったのかも知れません。例えば、当たり前の様に年金が多いだの少ないだのと既得権益の旗を私たちは振り回しますが、日本で年金制度が創設されたのって昭和17(1942)年なんですよね。そう、たった82年前のこと。

その間に悲しい戦争があって、今年は戦後79年にあたります。これだって、思えば「ついこの間」のことなんですよね。その間、国民全員の努力によって、私たちは平和で、安全で、清潔な毎日を当たり前の様に過ごすことができる様になりました。

けれど、そんな大事なものが、いつの日か当たり前じゃなくなる日が来たら、今の幸せを「当たり前」としてただ享受してきた私たちはどうするんでしょうね。答えは「どうにもならない」にちがいありません。

どこの誰に文句を言ってもムダですし、お金があったところで「貨幣の信用」が失われた世界では役に立ちません。自給自足なんてことができる人は、ほんの一握りしかいないことでしょう。それに治安も悪化して、水・電気などのライフラインも失われてしまう。

それに一番怖いのは「自分だけは上手いこと切り抜けたい」という人の心だったりします。けれど、これ、誰も責めることはできませんよね。

もはや「万全を期して、何かに備える」なんてことは、ほぼできない世界に私たちは生きているのかも知れません。みんな、一蓮托生の世界に生きているのです。唯一できる「備え」とは、そんな世界が来たとしても「自分」を見失わないでいるという「覚悟」を持つことぐらいなんでしょうね。

そんな日が本当に来てしまったら「あぁ、幸せな日々も終わっちゃったな」くらいの深刻さで前を向きたいところです。だって、幾ら深刻に考えても、事態が好転する訳ではありませんしね。そんな日が来ないことをひたすらに祈るばかりです。

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連休には木を沢山切ろうと思っています。枯れてしまったものもあれば、隣のお宅に枝を延ばし掛けているものもあります。木が育つ早さって、本当に信じられないものがあります。数年前にばっさりと切ったハズの木から、新しい枝が生えてきて、それも切らねばなりません。何だか心が痛みます。

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