夏休みもついに6日目となってしまいました。もう息をしているかも怪しい状態です。今日(8/13)は父母の墓に墓参りに行きました。自宅から車で1時間と少し、はっきりしない空模様でしたが、幸いなことに雨に降られることもなく、暑さにヒーヒー言うこともなく、無事にご先祖様を車に乗せて家に戻ってきました。
これから数日間、ダメダメな子孫にあきれながら、我家でゆっくりして下さいな。さぞ言いたいこともあるかと思いますが、まぁ、何とか生きていることでよしとしてもらえればうれしい限りです。それに、もう少ししたら、そちらに行きますので、よろしくお願いしますね。
さて、何事も「終わり」というのは大切です。とりわけ自らが事態を収拾した場合に得られる「達成感」というのは格別な喜びがありますが、そうでなくても「終わり」を迎える、そこに立ち会えるだけで充実感?充足感?といったものを感じることができます。
昨日も車検が終わって車を引取に行っただけで、ワタシったら「ウレシイ」気持ちになったのです。今日だって、墓参りを終えて自宅に戻ってきただけで「ウレシイ」。もう何でもかんでも「終わり」を目の当たりにすると「ウレシイ」のです。
この「終わり」の「ウレシイ」というのは、他のものと違うところがあって、そこには少しだけ「淋しい」の成分が入っています。学校を卒業した、会社を退職した、好きなドラマが終わった、おいしいカツ丼を食べ終わった、すべてが「ウレシイ」一方で少し淋しいのです。
今はまだ仕事をしていて、分かり易く毎日に「終わり」が詰め込まれています。取引先への請求書発行が終わった、会議の議事録作成が終わった(最近はAIがやってくれる)、銀行での通帳記入が終わった… 特別な感慨がそこにある訳ではありませんが、都度、ワタシの中で消滅と再生が繰り返されるのです。これが毎日を漕いでいくときの推進力なのかも知れません。
それが、あとしばらくすると「サンデー毎日」になり、はじまりと終わりが曖昧の海でどろどろに溶けた日々が続くことでしょう。とは言っても、日々の暮らしの中でも「始まり」と「終わり」は無数に存在します。掃除を始める/掃除を終える、ラーメンを作る/食べ終える、買物に出掛ける/荷物を抱えて家に戻ってくる… そういう小さなものを積み上げ、組み立て、日々を飽きることなく漕いでいく。そんな暮らし方をやがて学ばなければなりません。そのときに「終わり」というのは少し淋しいよねなんて、呑気なことは言っていられませんけれど。
それにしても雨が降ったり止んだりというおかしな天気は、いつもでも終わらないなぁ。
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昨日車検を出した大手のカー用品店から、会計時にお店のキャラクターシールをもらいました。幼い頃はこういうものを見境なく家中の平面に貼り付けていたのです。さすがに64歳ともなると、これをどこかに貼ろうという気持ちにはなりません。でもね、せっかくいただいたものですし、シールにはシールとしての役割も全うさせてあげたいし。なかなか適当な場所が見つかりません。困りました。
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