ここ数年、農作物が本当に美味しくなりました。スーパーで何を買っても、全部おいしい。とうもろこしは甘いし、キュウリやナスもきちんと味があって、果物に関してはどれも甘くてハズレ無しです。生産者さんたちのたゆまぬ努力のおかげです。昨日食べた桃も絶品、今日の昼に食べたメロンも絶品。何だか、もうそれだけで幸せです。
昨日、ガチャガチャとTVのリモコンでチャンネルを移動させていたら、「小さな村の物語 イタリア」(BS日テレ)という番組をやっているのに出会いました。これ、時折、こんな感じでバッタリ出会ってしまうと、少しだけ見てしまう番組なのです。
何とも不思議な番組で、毎回、「こんな小さな村でどうやって生計を立てているの?」とか「どこの家もキレイにしているな」とか「ずっと昔からこのままなの?」とか、そんなことを思ってしまいます。でも、出て来る人、みんな幸せそうなんですよね。
番組は村の住民ひとりを選び、その人に焦点を当てて、その人の人生、家族、村を紹介していくというのが「お決まり」の構成です。特に何も起きず、日常がたんたんと映し出され、ナレーションも大騒ぎをしたりせず、とても快適に見ることができます。
それで、昨日の「主人公たる住民」は60歳少し手前の女性だったのですが、彼女の生き方には思わず「ハッ」とさせられていまいました。この人はそもそもが弁護士だったのが、少し前に弁護士をやめて、今は食料品店を姉とふたりで経営しているのです。
詳しい経緯は前段部分を見ていないので分かりませんが、その理由として語った言葉が何とも素晴らしく、私の胸を打ちました。弁護士の仕事は充実したものであったが、人生のすべてが仕事に紐づいてしまっていた。この村で暮らすに際して、自分はいろんな自分を生きたいと思った。今は自分に連なる家族の一員である自分を生きて、姉の妹である自分を生きて、村の一員である自分を生きている。
その言葉からも、時折見せる凛とした表情からも、彼女がとても聡明な人で、きちんと自分で考え、自分で人生を選んできたことが、TVの画面を通じても伝わってきます。勿論、この判断をしたことに関して、何か「きっかけ」があったり、今もいろいろな思いがあるのでしょうが、それでも「自分」に誠実であろうとし続けている。こういう人が静かに「自分」を生きている。そのことに感動を覚えました。
きっと、世界中どこでも、日本でも、こういう選択をする人というのは沢山いることでしょう。そもそも、人がする「選択」というのは、常に尊いものなのです。そこには「正しい」もなく「誤り」もない。「選択した現実」がごろんと目の前に転がっていて、それを黙々と生きていく。改めて、そんなことをこの番組は教えてくれました。
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東京地方、夕立もなく、ここ数日間、猛暑が続いています。鉢物には水やりを毎朝しているのですが、庭木のことが心配でなりません。そろそろ、災害にならない程度で「ザーッ」と一雨来てくれませんかね。雨ごいでも何でも、オジイサンにできることは何でもするぜ。