人に歴史あり。いろんなことがあり、いろんな選択をし、みんな「今」にたどり着きます。自分で決められることと、決められないことがあって、ぐちゃぐちゃになって「今」にたどり着きます。

「人の暮らし」を取材したテレビ番組を見るといろんなことを思います。スゴイな、大変だな、頑張ったな、うらやましいな。映像の編集の力もあるのでしょうが、どんな人でもいろんなことが起きていた訳です。

特に「ポツンと一軒家」なんて番組をみていると紹介される方の殆どが、何でも自分でやることに驚かされます。会社や集団で生きていると「適材適所」とか「自分の役割」とか「厄介な仕事はすぐ誰かに振れ」なんて言葉が飛び交っていますが、制約だらけの環境で生きているとそうも行きません。

自分で家を作る、自分で野菜を作る、自分で家畜を育てる、自分で山から水を引く… 役割だとか、得手不得手とか言わずに何でも自分でやる。別にそれでお金を稼ぐ訳でも、それで名を成す訳でもなく、自分でできると思えば自分でやる。

番組では「出来の良い」ものが紹介されて、「スゴイなぁ」ということになるのでしょうが、最初はきっと失敗だらけに違いありません。けれど、懲りずに続けていると何とか様になって、最後はきちんと実用に耐えるものになる。人間というのはスゴイものです。

隣りの空地に家を建てるというので、そちらにハミ出していた木(ウメと百日紅、太い枝が5、6本)を切ることになって、便利なサービスの利用を考えましたが、15万円程度かかることがわかり、自分でやりました。

最初は上手くいかず、投げ出してしまおうかと思いましたが、小さなのこぎりを片手にやり遂げました。今は伐採した木の片付けに多大の時間を費やしています。大げさな話ですが、必要に駆られて自分でやったことの先に「今」の自分があるということ改めて実感した訳です。

もはやすべて遅すぎるのが実際ですが、人生100年だと信じるならば、まだ、すこし「足掻いても」よさそうに思っています。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。