久し振りに球根を植えました。15年程前に春植えの球根(グラジオラス)を、4月頃に庭に10球程植えて以来です。
今日植えたのはチューリップとスイセンです。今は球根もネット通販で取り寄せる時代です。数日前、気に入ったものを選び、それぞれ15球ポチっとしました。最近はいろいろと品種改良が進み、色や花の形など沢山の種類があって目移りをしてしまいましたが、チューリップもスイセンも比較的クラシックなものを選択しました。

届けられた球根を大事に抱え、いそいそと庭に出ます。レモンの木の近くに植えることにします。この場所は他の木を植えたり、生い茂ってしまう草花や野菜といったものは植えたくないところなので、秋に芽を出して、春に花を咲かす球根たちはレモンの木にとっても相性のよい共生相手です。

土を掘って木や草の根を取り除き、腐葉土や肥料を入れ、7cm程度の間隔で先ずはチューリップの球根を植えていきます。4月の初旬に開花するらしいので、そのときにどんな様子になるのか、「咲いたときの色」をイメージをしながら、植える球根をピックアップします。スイセンの球根は、この花に対する以前のひどい仕打ちに対する「贖罪」の思いも込めた植え付けです。5年程前に、春になるとスイセンが花をつけるハズの庭の一帯にうっかり除草シートを敷いてしまい、スイセンの命脈を絶ってしまったのです。本当に悪いことをしました。

いずれ、今の「週に3日の仕事」も辞めて、静かに家で毎日を過ごす日々がやってきます。それがいつなのかは、まだ決めていません。というか、私にはまだ決められないのです。この国の年金制度がこれからどうなっていくか、世界やこの国の経済事情がどうなっていくか、テレビの報道番組の解説を聞いても、いろいろな研究機関から出されている立派なレポートを読んでも、さっぱり不明です。
私は「経済的な自由」というには、かなり無理がある状態で早期退職をした一方で、やりたいことをして、食べたいものを食べるという我儘な生き方をしたいので、体が健康な間は「必要なので働く」のです。それに、生きがいとしての老後の仕事? 健康維持のための老後の仕事? そんな人は本当にいるのでしょうか。自らが老いを自覚する今になって、そんなキレイごとは「老いていない人が老いていない人に向けて語るキレイな幻想」だと理解しました。

最近は若いうちから堅実に節約して貯金をし、それを種銭として投資をし、これが順調に増え続けて経済的な自由を手に入れ、会社勤めでの定年などを待たずして悠々自適に暮らすという「FIRE」を目指す人が急増しています。どこやらのシンクタンクの調査では、年率8%で投資家の運用委託額が拡大しているそうです。幸せや成功に関するモデルがほんの僅かな間に大きく変わってきたのです。立身出世などという言葉は今や「死語の世界」のものなのでしょう。それに年金などあてにならないことを若い人たちは覚悟しているのです。
60歳を前にして、私には虎の子のお金を投資の旅に出す様な勇気はありません。数年前に、一ヶ月ほどの間に50万円を超えるお金を株で失った実績がある私は「自分が投資に向いていない」ことに強い確信をもっているのです。そんな少額の損を一度しただけで、何を言っているのですか?と笑われそうですが。

働くことを辞めて(辞めることができて)、毎日、庭の世話を中心とする生活は、まったく悪くない未来です。むしろ、望ましい未来です。いつか、そんな春の日に、今日、庭に植えた球根の子孫や後輩たちが、可愛らしい花で、私を出迎えてくれるといいなと思ったりしています。(正に、頭の中がお花畑!)
そして、それは、せいぜい15年程度先の未来なのです。

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