ポツンと混沌を漂って、ときおり誰かと遭遇する。まぁ、年老いてからの毎日なんて、そのくらいが丁度いいように思います。もはや「同じ顔ぶれ」で、「同じ思い」で、「同じ方向を見て」ずっと毎日を渡っていくなんて、考えること自体が間違いです。

勿論、家族は別ですよ。家族はずっと相手が同じペースで成長したり、劣化するのがいいところです。お互いに、徐々にボロくなっていくのがいい訳です。

人間は自分が「どう扱われたいか」を周囲に無意識に主張する生き物の様に思います。幾つになっても、というか老いれば老いる程に。今日、私よりも幾つか年上で、これまでとても穏やかに見えた人が、大したことじゃないのに他人の振る舞いに対して「そんな失礼なことをしてはいけない」と噛みつくのを間近に見て、そんなことを思ったのです。

「そうか、この人は普段、自分が失礼な目に遭っている」という怒りを心の中で飼っていたんだなと思ったのです。どこにも「失礼」の基準などなく、当人同士の関係性や問題でしかないことを、傍から見て「それは失礼なことだ」と諫めてしまう。というか、自分の心の中の怒りが口をついて出てしまう。

他人事ではありません。そして、むやみに年寄りには近寄らないのが一番です。人それぞれですが、何十年も掛けて育ててきた「虎の尾」は、もう一生変わらないんですよ。それどころか、どんどん成長し続ける始末。勿論、私もそう。

だから、老いてからは「ポツンと混沌を漂って、ときおり誰かと遭遇する」ぐらいが丁度いいんだろうなと思い至ったのです。どこにいても、誰といても、何をしていても、自分を生きることに一所懸命で、求められない限り、他人のことはその本人に任せておく。自分を取り巻く混沌の中で、何かに夢中になって、ひとりポツンとしていることをよしとする。そんなことを改めて考えさせられた「一コマ」でした。

それで、時折、一緒にいて気持ちが楽に思える相手との時間、「虎の尾」を踏まれても笑っていられる相手との時間を楽しむ。そして、また、次に会えるかどうか定かでなくとも「それじゃ、またね」とその場からお互いに立ち去っていく。「私的年寄平和生活」というのはそんな感じですかね。「ソンナモノニ、ワタシハ、ナリタイ」。

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結局、今日は仕事からの帰り道にお菓子ではなく「ジャム」を買ってしまいました。職場の近くにある有名な洋菓子店を昼休みにのぞいたときに見つけた「ジャム」が、どうしても頭から離れなくなってしまったのです。家の近くにあるパン屋さんで、おいしそうな食パンも一斤買って帰宅です。週末の楽しみが一つ増えました。

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