少し油断をすると「身の丈に合った暮らし」をしようとしてしまいます。このブログのタイトルの様に「必要なだけ働く」を本当はしたいというのに。先ずは収入があって、そこから暮らし方、生き方を考えるのではお金の奴隷という訳です。あぶない、あぶない。

されど「こんな生き方をしたい」などというきっちりとしたものを考えてしまうと、それはそれで窮屈で、独善の罠に囚われてしまいます。それに、生きていく以上、結局はどこかで経済面の折り合いを付けねばなりませんしね。

「こんな生き方をしたい」なんてものは大して長続きしないのです。始終「これもいいな、あれもいいな」などと気持ちというのは揺れるものですから。今頃になって「後付け」で見つけた生き方なんてものは、所詮、根のない草の様なものです。

まぁ、ゆるく、これは譲れない! これだけはしたくない!というベースラインだけは踏まえて、それに反しない様に暮らしていくことを考える。そのために「必要なだけ働く」、本来、こうじゃなきゃいけません。若い人にこんなたわけたことを言うと「ふざけんなよ」とか言われるんでしょうね。いいじゃん。

「好きなことを仕事にすればいい!」という画期的な答えがありますが、それはそれで大変な労苦の末に実現することであり、才能もなく、既に時間もないとなれば、そんなことを夢見ている訳にもいきません。

つまり、四の五の言わずに「必要なだけ働く」という、普通に当たり前のことを淡々とやる。何だか、その方が精神衛生上も「さっぱり」します。今から150年以上も前に、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが「ホールデン 森の生活」の中に記したことは、こういうことだったんだろうなと改めて思ったりするのです。

どんな暮らしをするかによって「必要なだけ」というのは大きく変わってきます。このあたりの「暮らし方とお金」のせめぎ合いが面白い訳です。あれもしたい、これもしたいとなれば、当たり前のことながら「働く時間」はどんどん削られていく訳で、そうすると収入が限られて、あれもこれもはできなくなってしまう。困りました。

「身の丈に合った暮らし」をすることに汲々として、すべての局面で縮小均衡して、最後は干からびた魚みたいになって死んでいく。単にどう考えるかというだけの問題ではあっても、先ずは「望んだ暮らしをする」(したくない暮らしはしない)、これができているか定期点検が必要に思います。すぐに「身の丈に合った暮らし」に逃げ込んじゃうんだから…

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