今年もまた、庭の梨の木に花が咲き始めました。梨の花、本当に「真っ白」で、木々の新芽の緑の中にあって、ひときわ異彩を放っています。この世のものとは思えぬ妥協なき白い花、そこだけ非現実が展開されています。匂いはほぼ無いものの何が鳥たちが引き付けるのか、今日も雨の中、一日中周辺の枝で大騒ぎをしていました。
いわゆる「退職後」という時期が終わり、いつの間にか初老の「それらしき生活スタイル」に私も移行した様に思います。それは、人それぞれに異なっていて、「標準的な60歳の暮らし」なんてものは無く、自分なりに「おっ、だいぶ落ち着いてきたな」「結構に暮らしやすくなってきたな」と思える暮らしということになります。
仕事に出掛けるときを除いては、私は基本、家にいます。(当たり前か!) たまにぷらぷらと散歩をしたり、スポーツクラブのプールで溺れたりします。後、庭で泥だらけになったりします。
毎日のルーティンは、朝7時頃に起きて、午前中は専ら読書をしたり、ネットで調べ物をしたりします。昼食後は庭や家の周辺をうろうろして、夕食後は午前中と同じ様に作業部屋で好きなものに囲まれて暮らします。まぁ、子供部屋おじいさん、みたいなものです。もっとも、その合間には家事やら、面倒な手続きなどをどんよりとこなしているんですけどね。
カッコいいカフェも、美しい風景も、知的好奇心を満たす?展覧会も、今はほぼ関心がありません。脳が死んでるんじゃないの? いえいえ、それでも十分に自分を満たしてくれる生活を、「この時代」は初老のオヤジにも与えてくれるのです。ありがたや。
職場が巨大の繁華街の近くにあるので、止む無く週に何日かは若い人でごった返す街中にダイブしないといけないのですが、頭が痛くなるような喧噪の中、私が呟く呪詛の言葉は唯一つ、「早く家に帰りなさいよ」というものです。まぁ、若いうちは「家なんかにいられない」ものですけれど。
主には情報通信、インターネットの発達から世界が大きく変わり始めて、約30年が過ぎました。随分と人間はできることが拡大した様に思います。勿論良いことばかりではなく、すべての物事の理と同様に「光と闇」があることでしょう。
世界は一つになる!どころか、誰でもネットに接続できる様になって、至るところで「争い」が生まれることになりました。政治的な紛争から、個人の発言/振る舞いがもたらす炎上、そして中傷、憎悪、随分と生き辛い世の中になりました。まさか、こんな不寛容な世界が広がるとは…
それでも私たちが手に入れた「できることの拡大」「可能性の拡大」は素晴らしいことだと思うのです。私の自宅ライフは実に快適です。或る程度の知識さえあれば、恐ろしく容易に、信じられない程に安価で世界中の情報空間を歩き回ることができます。
美味しい飲み物や食べ物だって、「お取り寄せ」をして簡単に自宅で味わうことができます。知らなかったことを知って、新しい世界に幾らでも出会うことができます。遠く離れた友人にも、簡単に「元気にしてる?」と言うことができます。同じ時間にアメリカで行われている野球の試合に感動することができます。
こんな「時忘れ」「歳忘れ」「我忘れ」みたいな時間を中心に据えた生活スタイルを送れるというのは、きっとこれまでの人間の歴史にもなかった「王様以上の暮らし」の様に思います。それで、更にどんどん、快適なことに対して贅沢になっていく。
いずれ、老いや病がこの「快適」を蝕んで、辛い日々が私にも訪れるのでしょうから、それまでは「神さま、許して下さいね」ということなのです。
もっとも、私はまだ「働くこと」に関しては、改善の余地、もっと自分の生活スタイルと折り合いをつけることができないかと考えているのです。もはや「働くこと」が暮らしの中心になることはないのですから、そこは「仕事の方をどうにかする」ことになります。それこそ贅沢なことなんでしょうね。
先日購入したタブレットPCのタッチパネル部分に「拭いても取れない汚れ」があって、これが気持ちが悪くて、何とかならないかなと思っていたのです。ネットで「液晶 汚れ 落ちる」なんてキーワードで検索したところ、「液晶用ウェットティッシュ」なんてものを見つけました。
15枚入りで価格は150円程度。ダメもとでAmazonでポチり、昨日到着したので早速にも使ってみたのです。結果、さっとひと拭きで、あの落ちなかった汚れがものの見事に無くなってしまったのです。新しい世界が広がりました。それ以来、家中の液晶を拭き続けています。