amazonプライムやNetflixといった動画配信サービスで海外ドラマや映画を見ていると、あっちの世界が本物で、こちらの「うすのろでパッとしない生活」の方のリアリティを感じなくなってしまう。確かにそんなこともあるかも知れません。無限にTVドラマも映画もありますしね。

結局、自分の「リアルな世界」というのはどこにでもあって、それを見つけて幸せに暮らせば、それで万事がOKに違いありません。わざわざ、どちらが「本当の生活」なんて決める必要もない訳ですし。ましてや「こちら側の世界」がエラい訳でもありません。

「足るを知る」という生き方が成立するのには、贅沢をせずに分相応に生きるということだけではなく、「自分のリアリティ」を生きていくことが不可欠の様に思います。そうでなければ、結局は「あれが足りない」「これも欲しい」「私は持っていない」という渇望に常にさらされて、自分に我慢を強いることになる様に思うのです。

私の夏休みもそろそろ終わりに近付いています。特に旅行にも行かず、何かイベントも用意しませんでしたが、十分に眠り、気掛かりだったことの幾つかを片付けることができました。そして、夜にはたっぷりと本を読み、TVのドキュメンタリ番組やドラマや映画を沢山観ました。

そこには「自分の好きなこと、やりたいこと」に夢中になっている沢山の人たちの姿がありました。年老いた人も若い人も。そのダイナミズムを前にしたときに、多様性(ダイバーシティ)などと言って、今、盛んに議論されることへの答えもそこにある様に思えたのです。

「自分のリアリティ」に夢中で、それを大切にすることを第一に考えるのであれば、いかなる「他人のリアリティ」に関しても、並存できるものだと考えることができる、というか無関心でいられる様に思います。「へぇ、そうなんだ」って奴です。結局、そんな時間を生きているのが一番の幸せに思うのです。そんなことを考える余裕もありませんしね。


「自分のリアリティ」を生きるために必要な場所で暮らす。惚れ込んだ土地に移住をするもよし、年老いてから「介護施設」に自ら入居するもよし、どこに越さなくても「ネットの中」や「本の中」に自分の生きる場所を見つけるもよし。誰とも比べる必要もない「自分のリアリティ」、結局は死ぬまでその中で暮らすのですから。

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