壁に棚を付けたり、組み立て式の家具のネジを回したり、カーペットの寸法が合わずに少し切ったり、何だかんだと「工具」や「ネジ・釘」「テープ」といったものが必要になります。それぞれに仕舞ってある場所が違っていて、これまで長い長い間、不便な思いをしてきました。

それでついに「よく使う工具箱」というのを2週間程前に用意しました。結構大きめの容器を買ってきたのですが、何か作業をする度にここに入れるものが増えていき、早くも「よく使わない」ものまでが入り込み、蓋が閉まらない様になってしまいました。使い勝手、悪いなぁ。

本を読んだり、音楽を聴くときに、「教養」「上手い処し方」「ノウハウ」なんてものを身に着けることを目的とする、なんてことを若い頃、否、最近まで考えていたことがありました。話題となっているビジネス本や生き方の指南本を読む、何だか小難しいクラッシックの名曲を聴くなんてことです。

今思えば、安易な発想だったとは言え、余りに前向きだった自分が可愛くて、そっとチョコレートの一枚も届けてあげたいくらいです。結果として、こういったことに費やした時間が今の自分に何か残してくれたのかと問うならば、「特に何も…」と言わざるを得ません。

ただ、今になって気付くことがあって、自分を利する「下心」みたいなものがあってやることは、何にしても最後はツマラナイことに行き着くという教訓です。このことに気付けただけでも、まったくのムダではなかったと思うことにします。

もういい加減に単純に「楽しくて興味をもって取り組めるもの」だけをやればいいんですけどね。何か有難そうなこと、自分のためになることをしたいという「さもしい思い」が、今も所々で首をもたげます。「楽しい、興味がある」を続けて、そこからポタリポタリと滲み出てくるものこそが本来「教養」として、身に付くものなんでしょう。「よくわかんないけど、あのじいさん、面白いなぁ」ってことです。

改めて別のエントリで書いてみたいと思いますが、しばらく前からChatGPTを使っています。何だか急に、世界中で「危険だ」「個人情報取得上の問題がある」なんてネガティブ面が騒がれ始めているアレです。設定は恐ろしく簡単で、米国の人工知能研究所:OpenAIのサイトからIDとパスワードの登録をするだけ。

本の中に答えを見つけるどころか、概念的で意味不明な問い掛けをしても、ChatGPTからはそれらしい答えが「どーん」と瞬時に出てきてしまいます。「さもしい」なんて恥じる気持ちが生じる間もなく。こういうものが普通にある時代になったんですね。

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