みんな年老いていきます。昨日、愛猫がジャンプに失敗して、積んであったサイコロ状のカラーボックスを蹴り倒してしまいました。これが夜中の3時、音にも驚きましたが、家の子がケガをしていないか、すぐに飛び起きて懸命に、どこにいるかを探しました。

すると本人は少し離れたところで、失敗に少し照れた様な顔をしてちょこんと座っていました。よかった。猫ちゃんが高い所から飛び降りて骨折した、なんて記事をネットで読んだりするので、本当に肝を冷やしました。あんまり無茶なチャレンジはしないでね、来年の1月には10歳になるんだから。

ご近所さんと、道ですれ違いました。私よりも少々年長で、恐らく70歳ぐらいの方。確か3年ぐらい前までは、まだ働いていて、どこかの会社で顧問をしている、なんて話を立ち話でしていただいたことを覚えています。それが、今日、久し振りにお目に掛かったら、驚く程に「老けて」しまった様子に驚きました。

歩く姿はヨボヨボ(失礼!)で、こちらからご挨拶しても上手く言葉も出ない様子だし、どこか体でも悪いのかしらと思う程でした。本当に健康上の問題なのかも知れませんが、勝手に想像するに「働かなくなって、一気に老けた」様に思うのです。

年老いてから「働く」というのは、若い頃に以上にいろいろな意味を持ちます。そして、いろいろな感情に揺さぶられます。それは多くの場合、決して「楽しい」ものではないハズです。けれど、一方では「働かない」「働けない」というのも、また、同様にいろいろな思いを年老いた人たちに投げ掛けてきます。あんなに「働く」ことを嫌っていたのにね。

経済面から働かざるを得ないということもあるでしょうし、「やりがい」「生きがい」が欲しかったり、他にすることがないといった事情すらあることでしょう。如何なる背景があったにせよ、多くの人にとって「働く」ことは、もはや心や体と不可分なものなのかも知れません。それは「奴隷の習性」らしいですけれど。

今、私にとって最大の関心事は「70歳を過ぎても、10万円/月の仕事」(大体3日/週)を如何にして続けるか、だったりします。それには贅沢なことを考えていて、どんな仕事でもよい訳ではなく、地理的な条件(近い)は勿論のこと、「無口で」「黙々と」「痛くもキツくもなく」「誰かの気分次第で内容が変わったりしない」、そんな都合がよいものがないかと考えているのです。

そんな仕事が「もう、体が動かないよ」となるまで続けられるならば、どんなにか幸せなことでしょう。家族の健康次第ではありますが、特に今の状態が続くならば、そんな「都合のよい仕事」をこれから、2年程度の間に見つけて、それから先もしばらくは「黙々」と働き続けたいのです。

そして、そんな仕事を見つけたときに、それを手に入れることができる「自分」であるのか、改めて「身の程」を考えたいと思うのです。これからできることは限られているけどね。

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いやはや、なんという試合だったのでしょう。MLBのワールドシリーズ、本当に感動しました。両チームの選手、ここには来れなかった他のチームの選手、スタッフ/関係者の人たち、そして世界中のたくさんのファン、「いろいろな思い=野球の力」が全部集まって、ものすごい感動の波が地球をぐるぐると何週も巡りました。

3月末にシーズンが始まって、今日まで、本当に楽しい毎日を過ごさせてもらいました。また、来年も素晴らしい試合をみせて下さいね。あしたから、何を楽しみに生きればいいのやら…

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