「人が働いている」のは、それがどんな職業で、どんな格好をしていたとしても、「かっこいい」ものだと私は思うのです。何だかみんな哲学者の様な雰囲気を漂わせています。働いている本人はそれどころじゃなくて、目の前のことに常に汲々としている訳ですが。もしくはお昼前だと今日のランチのことが気掛かりです。さて、今日は何を食べようかな。

ようやく「退職したおじさん」と「週3日程働くおじさん」の二刀流が板についてきた私ですが、この切り替えが最初の頃はなかなかに難しかったのです。やはり「働くおじさん」がメインというか、何だかエライことの様に勝手に自分で考えてしまい、「3日間働いて、4日間休んで」いたのです。それが、ようやく「3日間働いて、4日間自分を生きる」といった毎日の過ごし方ができる様になった気がするのです。まぁ、実際にはやっていることは余り変わらないのですが。

私にとっての「4日間自分を生きる」というのは、「あなたは人生の次の季節に入ったのですよ」という神さまからの指令?の様なものだと最近は思っているのです。すると「やり残した思い」や「後ろめたさ」みたいなものが随分と和らぎます。というか、だんだんにそんなことを考えていたことすら忘れていってしまいます。だから、街の各所で頑張っている人たちを純粋に「カッコいいな」と応援できたりもします。「オレだって」なんて、ここしばらくは思いもしませんもの。

古代中国の思想では人生を四季にたとえ、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」の順に過ぎていくとしているそうです。人生を80年として、それぞれの季節を均等に割り振ると、生まれてから20歳頃までが「玄冬」、次いで40歳頃までが「青春」、それから60歳頃までが「朱夏」、そしてそれ以降お迎えの日までが「白秋」ということになります。

始まりが「春」ではなく「冬」というのが、私にはとてもしっくりきます。厳しい冬(色は玄≒黒)に人としてこの世に生を受け、色彩豊かな季節を生きて、最後、何も無い「白い」季節で人生を終える。勝手な解釈ですが「実りの秋」だの言われて、「充実」「成熟」を強迫されるより、随分と清々しい気持ちがします。

思えば、退職者が迎えるのは「次の季節」どころか「最後の季節」だったのです。そうだよね、後が詰まっているんだし。「白秋」か… きっと、どんどん日々が詰まらないことでいっぱいになって、どんどん体が動かなくなって、どんどん気力がなくなって、どんどん偏屈になって、どんどん社会や時代に取り残されて、だけど淡々と生きていく。いいなぁ、そういうの。

サトウハチローさんの名作である「小さい秋みつけた」を歌ってみて! と言われると多くの人が「小さい秋、小さい秋、小さい秋見つけた」と始めてしまうとか。正解はもちろん「だれかさんが、だれかさんが、だれかさんが見つけた」ですよね。

※20220710 18:17に修正をしました。「小さい秋みつけた」の作詞者を間違えていました。情けない…

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