50年以上も同じ街にずっと暮らしているので、それなりに馴染の店があります。たまに出掛けては美味しいものを食べて、お酒を飲んでは、私以上にこの街で暮らした時間の長いお店のご主人と昔話をするのです。もう、こんな話ができる相手も本当に少なくなりました。

「今、あの店があるところは、昔XXXだった」という話ばかり、延々としているのです。ほぼ同じ話を既に3周くらいしているのですが、少しも飽きません。それどころか、以前にした内容に関して「こんなことも思い出した」という発見が次から次へと記憶の底から浮かび上がってくるのです。

昔、釣具屋さんで小学生のころ毎日の様に通った店は、近くの土地も併せて、今ではオフィスビルに変わってしまいました。昔、茶葉を販売していた店があったところは数年前に新しい道路が通り、跡形もなくなってしまいました。お茶を煎る回転する機械があって、いい匂いがして、子供心にもとても幸せなお店だったのです。昔、婦人服のお店だったところは、一度流行りのステーキチェーンになり、そこが撤退すると、次のテナントが決まらずにずっと空き店舗になっています。いつまででも昔話ができそうです。

昔話をして過去を振り返るのは、実は大変に効用があるのだそうです。「回想法」といって、認知症の進行予防の打ち手の一つとされています。NHKさんはこれをみんなで進めるためのネタを提供するために「回想法ライブラリー」というWEBページを作っていて、そこにいろいろな昔の動画が上げられています。まぁ、一人でみても、「そうだったよね」という動画が沢山あるので、是非、ご覧下さいませ。

施設などで昔のニュース動画などを見て、「動画にまつわる思い出などを話して下さい」などということをやれば、結構にみんなで盛り上がりそうです。私など「万博好き」なので、大阪万博や、つくば科学博のことを話してくれる人がいたら、大いに傾聴し、そのことで自分の記憶の引き出しからも「忘れていた断片」を引っ張り出せそうに思えるのです。万博の記憶は私にとって父母の記憶でもあるのです。

今も「東日本大震災(2011.3.11)の日に何をしていたか」ということが、親しい人との集まりの席で話題になることがあります。余りに非日常で、そしてみんなが共通して体験した強烈な出来事です。私は勤め先から自宅まで40km弱を8時間以上かけて徒歩で帰りました。

(東日本に住む人にとっては)きっと特定の一日のことを何年経っても、誰もが忘れずに語れるなんて、金輪際この日しかない様に思います。そして、誰かの話を聞くたびに、あの日の自分に起きた出来事で新しく思い出すことがあるのです。あれは、私たちにとって、特別な記憶なのです。

昔話をして、過去を振り返り、そこにまた新しい発見をする。そんなことができるのも「相手」がいるからだと思うのです。人と過去を共有することで、何か脳が活性化するに違いありません。いくら本でそのことを読んでも、動画をみても、それは死んだ過去、博物館で朽ち果てる過去なのです。

さてさて、コロナ禍も落ち着いたら、同じ昔を生きた人たちと、昔話を昔懐かしい街の昔懐かしい店ですることにしましょう。誰か、遊んでくれるといいのですが。まぁ、googleで改めて検索すると、大体、そんな店はもうないんですけどね。

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