やっと使い勝手のよいスマホの音楽プレイヤーアプリを見つけました。今まで幾つもインストールしては、使い物にならずにアンインストールを繰り返してきたのです。動作が不安定で始終途中で停止してしまうもの(強制的に表示される広告が悪さをする)、バックグラウンド再生ができないもの、アーティスト>アルバム>楽曲という当たり前の絞り込みが不自由なもの…. そして、ようやく苦難の末に最適なものを見つけたのです。
こいつは「Sipmle Music Player」とだけ名前がついていて、どの様に説明したらよいか分かりませんが、こんなに素晴らしいものが、膨大な数のアプリがひしめく海の中で、私にインストールされるのをひっそりと待っていたなんて夢にも思いませんでした。
「求めよ、さらば与えられん」というのは本当だったのです。アプリのレビュを見ても「こんなものがあったのね」「ほぼほぼ理想」といった絶賛の声が溢れています。Andoroidのアプリですけど、ご興味があったら、探してみてね。
さて、思えば、随分と昔から「自分の優先順位を犠牲にして、誰かの都合に合わせる」ことをやってきました。例えば、「土日に出社してよ」と言われれば、家族との約束を破り、「忘年会はタイ料理ね」と言われれば、好きでもない料理(実はキライ)を食べに行ったり、そういうことです。
こういう「例え」「実例」を書き連ねるならば、私は、ほぼ無限にキーボードを叩き続けることができます。まぁ、こういうの、私だけでなく、この国の人はみんな「同じ」だと思いますけどね。「誰かの不幸に上に作られる誰かの幸せ」、私たちはずーっとこういうものの犠牲になってきたのです。お人好しというか、便利なヤツというか。
それで、63歳の私としては、もうこういうのを一切やめてしまおうと、かなり本気で思っているのです。誰に、どんな状況であっても、何か見返りを提示されても、とにかく「自分の優先順位を優先する」。勿論、本当に命の危険に瀕している人を放ってはおけませんけれど。
自分のみならず、自分を必要とするものたちも犠牲にする、なんてことは、本来やってはいけないことなのです。同調圧力?上等じゃないですか。そんなものに屈するぐらいなら、その場をニタニタ笑いながら立ち去ればよいだけなのです。そもそも年寄りというのは「無敵の人」なんですから。
それにしばらくの間、「自分の優先順位を優先する」ことを続けていれば、「アイツはそういう奴だから」という評価が定まってくるのです。職場にこのスタンスをずっと貫いている人がいて、その人には誰も「犠牲になってくれる」ことを期待していないので、それはそれで平和が保たれているのです。
この人、本当に徹底していて、一切の会社のイベントには参加せず(含:出勤扱いのもの)、残業も1分たりともしないのです。けれど、自分の役割だけはきっちりとこなすので、もはや、誰も彼には同調圧力を掛けたりはしないのです。
最初の中は「そうは言ってもね、みんな我慢している部分だってあるんだから…」なんて、私も思っていたのです。それが、今では「これはこれで誠実な世の中の処し方だな」などと感心することしきりなのです。 自分に対して誠実であり、自分を常に心から支えてくれるものに対して誠実である。残された時間は限られているのですから、「自分の優先順位を優先する」、それでいいじゃん!と思うのです。
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いよいよ気温が下がってきて、街ではコートを着た人すら見掛ける様になりました。とは言っても、電車に乗ったり、建物の中に入ったりすると「暑い」ぐらいなんですよね。家を出て、駅に着いたらコートやマフラーを預けて、また帰宅時にはそれらを返してもらい、ぬくぬくして帰る。そんなサービス、ありませんかね。
コインロッカーに預ければいい? 一日300円で、月20日出勤して6,000円か… 少しくらい「暑い」のは我慢することにします。