リビングの床に落ちていたガラスの破片を踏んでしまいました。破片は7mm程度のものだったのですが、深く足裏に入ってしまった様で、相当の出血となりました。これがあったということは、欠けてしまった食器(恐らくコップ)がどこかにあるハズですが見当たりません。それなりに痛かったのですが、愛猫が踏んだり、口にしなかったので、無問題です。よかったなぁ。
唐突ですが、高級なお店で、高級なものを食べたくなんかまったくありません。そんなものに縁が無いから、悔し紛れで言っている訳ではないのです(本当は悔しい)。せいぜい残りの人生30年、自分がこれまで食べて来たものを普通に食べ続けたいだけなのです。
大体、人の味覚、美味しいと思うものは子供の頃に食べたもので作り上げられる様に思うのです。今、私がカミさんが外出して留守番をしているときに、好き勝手に自分で作ったり、買ってきて食べているものは「子供の頃に食べていたもの」ばかりなのです。それは紙の様に薄いハムカツであったり、ケチャップの味しかしないナポリタンであったり、レトルトのソースで作る麻婆豆腐だったり、そういうもの。
昔、取引先の人に、どこぞの一流ホテルの高名なレストランに連れていったもらったときも「あれ、ちっとも美味しくない」と別方面の感動があったのを覚えています。連れていってくれた人、ごめんなさい。
それで、結局は「家庭の味」というのが一番美味しいのです。それは母親が作ってくれたものであり、カミさんが作ってくれるものです。作ってくれる人からすると、「たまには休ませてよ」ということなんでしょうけどね。それで外食をすると、改めて「家のご飯が一番おいしいなぁ」と思ってしまうのです。
私、人生でとても幸せに思うことの一つが、母親が作ってくれたものと、今、カミさんが作ってくれるもので、味噌汁の味が「同じ」であることなのです。母親はカミさんと結婚するよりも前に亡くなってしまっていたので、二人の間で味の引継ぎがされていた訳ではないんですけどね。とても不思議な感じがします。
それで、味噌汁の具については、子供の頃好きだったものをカミさんにリクエストして、作ってもらうのです。例えば、ジャガイモとニラを入れた味噌汁。これって一般的なのか、そうでないのかは分かりませんが、この味噌汁を飲む度に「幸せ」な感じがして、ほっこりとするのです。
「家庭の味が一番美味しい」なんて思えるのは、きっととてつもなく幸せなことなんでしょうね。こんなエントリを書いていたら、昔、母親が作ってくれたいろいろな料理のことを思い出しました。私は幸せな子供だったのです。今も幸せですけどね。
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お医者さんが処方箋を出してくれる薬って、よく効きますよね。僅か2日間、飲んでいただけで、ほぼ咳も痰も収まってしまいました。やっぱり、お医者さんに行ってよかったなぁ。また、月曜日からガンガン行くぜ。