今日(3/17)はお墓参りに行ってきました。彼岸の入りで、まだ墓地も空いているだろうと思ったのですが、広い駐車場がほぼ満杯という盛況ぶり。最近はお墓参りがちょっとしたブームなのだとか。春と秋のお彼岸という習慣、1200年以上前に始まったらしいですよ。

自分が死んでも、お彼岸やお盆に思い出してもらえると思うと、何だか少しうれしい気持ちがします。とは言っても、精々孫くらいまでの間ですけどね。その後は誰の記憶からも失われてしまい、ほんとうに世界からいなくなってしまいます。そんなものですよ。

さてさて、ミスやトラブルが発生したときに、結局、解決できればよいだけなのに、不思議に「怒ってしまう」人がいます。「怒る」ことで、解決が促されるならば分かりますが、大体はその人をなだめすかすための「ひと手間」が増えるだけだったりします。

更には、それ自体は解決した後に「あいつ、おもしろくねぇーなー」と遺恨すら残してしまいます。そして、こっちの方はなかなか解決できずに、いずれは本当の大事故を招いたりします。何でもかんでも「怒る人」、きっと病気なんでしょうね。でも、それの犠牲になるのは御免です。

それとは逆に、何でもかんでも気持ち悪いぐらいに「気を回す」人というのもいます。これ、TPOをわきまえずに始終やられると、本当に「イラっ」ときます。私はどちらかと言えば、「怒る人」の方がまだマシだったりします。

これ、本当に相手のことを考えてやっている訳ではなく、単に習慣的にやっていると思われるのですが、いちいちそのことに御礼を言うのが本当に面倒なのです。そんなことをしてくれなくても、自分で出来ますよ!ということまでやられてしまうと、ぐったりと疲れてしまいます。人のことはいいから、自分のことをやってね。

「怒る人」も(過度に)「気を回す人」も、どちらも相手との距離感が分からない人たちなんでしょうね。他人様に感情をぶつけてることの無礼さに気付かなかったり、「自分がよかれ」と思えばそれを相手に一方的に押し付けたり。

人の世に暮らす限り、こういう事故みたいなものに遭遇することを皆無にはできません。唯一の打ち手は「そういう人には極力近寄らない」ことなのです。それでも時折、流れ弾に当たりますけれど。

それで天上からのご教訓としては、やはり「人の振り見て我が振り直せ」ということに尽きそうです。「怒らない」「べたつかない」、これ、大事にしたいものです。

ちょっとこういうことが続いたので、愚痴ってみました。月曜日からは被弾しない様に、巧みに物陰に身を隠さねば… 平穏無事に暮らすのも大変です。

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