流石に60年近く生きていると自分で自分を偽る=正当化ぐらいはお手のものです。本人が思う程には周囲からみると「そうだね、なるほど」などとは思っていないんですけどね。それどころか「いいんだよ、もう、楽になっちゃえよ」とすら思われているかも知れません。かと言って両手を上げて「降参」というのはしかねます。困りました。
何故、人は「正当化」なんて潔くないことを条件反射の様にしてしまうのでしょうね。正当化とは自分がしていること、言っていることが正しくないと認識した上で、自分を守るためにする行為です。もしくは自分は正しくないけれど、そこに至るまでの経緯において、それが当然であるとする理由があったので「仕方ないじゃない!」と開き直ることです。TVなどで何かの罪に問われた人が言うことです。「ギャンブルがどうしても止められずに多額の借金があり、やってしまいました」。「それじゃ、しょうがないよねぇ」という訳にはいきません。
まぁ、正当化をせずに自分のしでかしたことをすべて「私が悪うございました」などときちんと受け止めていたら、すぐに心がぐしゃぐしゃになってしまいそうです。だから自分に対して「正当化」をして痛みを和らげることは意味がありそうです。おっと、これも自分の都合のよい生き方を「正当化」していますかね。
よく考えると「転職」や「中途退職」って、その判断の「正当化」の最たるものですよね。自分に対して「あれは正しい判断だった」と納得させる一方で、家族にもそれが「有理」であることを説明しなければなりません。オトーサンがどんなに一所懸命に理屈を話しても、家族にしてみれば「イヤなら辞めれば」程度のダイナミズムで、話を聞きながらおせんべいを食べていたりするのです。有難い話です。まぁ、諦めているだけかも知れませんけどね。
それじゃ、そんな後ろめたい思いまでして「守りたい」もの(人生で大事だと思うこと)って何なんでしょうか。アンケートに相談だ。
<人生において最も大事だと思うこと> n=502
1位「お金」 30.5%/2位「愛」 25.5%/3位「希望」 11.8%/4位「知識」 10.4%/5位「努力」 8.8%/6位「その他」 7.6%/7位「友情」 5.6%
※出典:マイナビ 会社員が選ぶ「人生でもっとも大事なもの」って?(2018.4)
キレイゴトは言わない、結局は「お金」があれば何でもできる、そんな回答理由が多かった様子です。まぁ、どれか一つなんて選択を現実には強いられることは恐らくあり得ないので、行き着くところは「お金が一番大事」というのは「なる程」です。きっと正確に言えば、「自分や家族が物心共に困らない状態であること」ということなんでしょうけどね。
本当に大切にしているものであれば、どんなに醜く「正当化」をしても、それを守り抜く。その一所懸命な姿がときに妙な効果を生んで「分かったよ、そうなんだろうな、それでいいよ」ということになることがあります。この場合は「そこまで言うのだから、その後はお前が何とかするんだぞ」ということが暗黙に伝えられている訳です。こちらも有難い話です。何度もその期待を裏切ってしまった私は、流石に言い訳や「正当化」することなく、恥じるのみなのです。
中高年が退職後に再就職をした以降、ほとんど出会わなくなるのが「会議」です。まぁ、そんな人たちに意思決定や合意形成のプロセスに参加してもらうことは不必要だからです。基本は「与えられた仕事」を黙々とこなすのみですから。そうすると、他人に対して「正当化」するなんて機会もなくなる訳です。あー、あの「吊るし上げられて、自分の正しさを強弁する場」が懐かしい。そんな訳ないか。