あっという間に5月も終わってしまいました。とても小さな出来事が幾つか起きて、いろいろなことを「先に進める」ことができて、家庭菜園でも収穫と播種が順調に進んで、充実した1ケ月でありました。傍目からみれば「お前、何もやってナイヨナ」だと思いますけれど。

人と関われば、必ず他人の行為に対して「カチン」ときたり、「うふふ」となったりします。「あの人、何のつもりだったんダロ?」そういうことを考えては、まったく大事でもない人のことで、大事な自分の時間を使ってしまったります。

さすがに最近は、そういうことがほとほと面倒に、バカらしくなってきたので、どんなことでも、他人が私に対して言ったり、したりすることをそのままに全面的に「善意で受け取る」ことにしているのです。

これって、「世の中で起きていることにはすべてメッセージがある」とか「どんな人でも有難い」といったスピリチュアル系の発想とはまったく無縁、それどころか真逆の対処をしているのです。

乱暴に言ってしまえば、(私にしてみると)言わなくてもいいことを敢えて私に話してくれるのだから、さぞかし「私のためによかれ」と思ってくれているのだろうと『相手の真意』など汲み取りもせずに片っ端から「ありがたや」と書かれている箱の中に放り込んでいる訳です。

それで、これだと、結構に「気持ちのよい時間」というのが増えるんですよ。今更気付いたのかよ!ってことなんですけどね。

健康寿命というのがあって、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のことをいうのですが、厚生労働省によると、2019(令和元)年の健康寿命は男性72.68歳、女性75.38歳だったのだそうです。

最近は90歳になっても、100歳になっても元気な人は大勢いるので、この数字には何となく「そんなことないでしょ!72歳なんて、みんなピンピンしてるよ」と反論をしたいところですが、これが「実際」です。61歳の私としたら、残り、あと10年ということになります。本当に「納得いかないこと」に使っている時間はありません。

別に「大したこと」ができなくたっていいんです。これまでだって「大したこと」をしてこなかったのに、これから急にできる訳はないし。けれど、「好きなこと」「したいこと」「大事な人やコトのためにすること」以外に、「健康でいられる」時間をムダに使ってしまうことを考えると、何というか鈍く怒りすら湧いてきます。とにかく、誰かや何かの犠牲になど、なっていられません。

ちなみに、WHOによると健康寿命が世界で一番長いのは日本で、アフリカや南米の国々では軒並み60歳を下回っています。比べることに意味はありませんが、せっかく健康で暮らせる時間が世界で最長の国に生まれたのですから、これを納得して過ごせなければ、神さまやご先祖様に申し訳が立ちません。

来月というか、明日からの1ヶ月もいろいろとやることや、イベントがあって、あっという間に過ぎていくことでしょう。これから72.68歳の健康寿命まで元気に活動できるとすると、私の場合、残り4,200日程度、これを逆に過去に遡れば、2011年の11月頃になります。

そうか、ついこの間と思っていた東日本大震災があった年の暮れなんですね。きっとまた、驚く程に早く時間は過ぎてしまうのでしょう。うかうかしていられません。

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