今日(7/18)は仕事帰りに床屋さんに行きました。1000円カットですけどね。既に大して毛量もないので、1000円ぐらいが妥当と思われます。いつもどおりに「バリカンで適当に短くしておいて下さい」と若いお兄さんにお願いします。向こうも「分かりました」と見事に意思疎通が成立し、10分後には完成です。早く帰ってシャワー浴びなきゃ。

ここしばらくの間、九州や東北地方などで豪雨による水害が発生しています。被害に見舞われた方々にはお見舞い申し上げます。大変な被害の惨状や、復旧に大変な思いをしている人たちの映像を見る度に、いつも思うことがあります。それは、例え何もできないとしても「いなければいけないときに、そこにいる」自分でありたいということです。

災害が発生したときだったり、家族や友人がピンチだったり、誰かの「晴れの日」だったり、そんなときに「そこにいる」ということ。勿論、そんなにドンピシャで、何も調整をせずに、いつもそこにいられるなんてことはないでしょう。けれど、つべこべ言わずにそんな場所に駆けつけることができる自分でいたいと思うのです。

東日本大震災のときに、当時勤めていた会社では、地震発生から4時間程経過した18時30分頃でしょうか、自己責任で以降の行動をする様にという指示が社員に出されました。今では社会インフラの混乱が収まるまでは会社に留まるというのが、社会全体の行動ルールになっていますが、当時は「初めてのこと」で、その様な判断が下されたのです。

これ、私としては、当時も今も、本当に素晴らしい会社判断だったと思っているのです。大いに感謝しているのです。何を言っているんだ? 社会的な混乱を生じさせるだけだろ? 確かにそうでしょう、きっとその通りです。けれど、「いなければいけないときに、そこにいない」自分に何の価値があるのか、私は考えてしまいます。まぁ、今じゃ会社から出してもらえないんでしょうけどね。

会社に留まる人もいましたが、私はできる限り早く家に戻りたいと思い、会社を出発しました。何も交通機関が動いておらず、結局、会社から約40kmの距離をテクテクと歩いて、9時間以上を掛けて家に辿り着きました。家族にも、家にも、特に困ったことは起きておらず、胸を撫で下ろしたことを覚えています。

8月からしばらく病気療養のために無職となりますが、その後はまた働くことになります。くじに当たるか、庭からお宝でも発掘されれば別ですが。そんなときに、次の仕事を選ぶときの第一のプライオリティは「いなければならないときに、そこにいる」のが可能であることだったりします。世の中には、それが許されない仕事や職場も沢山ありますからね。勝手なことを言っています。


ここ数日、余りの暑さにどこかに避難をしてしまったのか、野鳥たちの姿を庭で見掛けることが少なくなりました。街で、人間と同じ空間に暮らす生き物たちが、この酷暑をどうやり過ごしているのか心配になります。

私にできることは野鳥用の水飲み台の水を毎日交換することと、庭や植木に散水をして、葉陰に潜む生き物に水を分けることぐらいです。天気予報では、明後日(7/20)の午後に少しまとまった雨が降るとのこと。お願いしますよ。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。