いよいよ年内に仕事に行くのも、残り5日となりました。企業によって「年内最終日」が前後しますが、私が働いているところは12/28(木)が最終日です。何でも、最終日の午後はみんなでオフィスの大掃除をするのが恒例なのだとか。昔はどこの会社もそんな感じでしたけどね。最近では珍しいのかも知れません。

身体か心か、若い頃は、というかついこの間まで、身体の方から先にダメになると思っていました。ところが61歳の今(5ヶ月後には62歳!)、先にダメになるのは「心」の方だということがハッキリと分かりました。

身体の方は、正直、多少いろいろな反応が鈍ったり、疲れやすくなった様な気がするものの、大して40代、50代と変わりがあるようには思えないのです。特に最近は人と会うとき以外は、まったくアルコールを飲まなくなったこともあり、もしかすると20年前より健康体かも知れません。

ちなみに意識して飲まなくなったというよりも、何だか飲もうと思わないんですよね。おかげで健康にもいいし、お財布にも優しいので、一石二鳥です。それまではビールや、缶チューハイなどを会社の帰り道で買って、少々おつまみも買って、なんて散財をほぼ毎日繰り返していました。

さて、「心」がダメになるということですが、私の場合は全体的に弱っていく、機能が劣化していく、回復がしなくなる、という感じではありません。そういう「心の緩慢な死」みたいなものではなく、一部分がポロっ、ポロっと欠落していく感じだったりします。

「負けてなるものか!」とか、「何があってもやり遂げる!」みたいなものが真っ先に剥離してしまった様な気がします。それから「辛抱する」とか「我慢する」も、もはや大して残っていません。

けれど、それで「怒りっぽくなった」とか「何ごとも許せなくなった」とかいうことではなく、何だか周囲のものがだんだんと自分ごとに思えなくなってきたという感じがしています。投げやりに「どうでもいい」のではなく、万事、「そういうこともあるよね」と受け流すことが習慣になりつつあったりします。何だかどんどん「楽な方」に流れていきます。

幸いなことに新しい仕事では大して感情を動かすことなく、ただ夢中で目の前のものを処理することで一日が終わっていきます。「心」の欠落部分が徐々に広がっている状態であっても、平穏無事な毎日が過ぎていきます。真剣に「自分を見つめる」なんて、面倒なことに追い込まれないのが実によいところです。

けれど、いつか、「もういいかな、この辺りで」と心がすっかりダメになって、「隠居」を決め込んでしまうときが来るのです。それは65歳なのか、70歳なのか、もっと先なのか。そして、そんなタイミングでも、恐らく身体はまだ元気だったりするのです。

そうなったら、きっと、ひたすらに歩くか、走るか、泳ぐか、そんなことをしそうです。街中で、何だか修行僧の様な雰囲気を漂わせて走っている年寄りをたまに見掛けますが、もしかしたら、それは自分の「なれの果て」を幻視していたのかも知れません。

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そういえば、今朝、近所の少し年上の方に道ですれ違い、おはようございます!とご挨拶をしたのですが、「元気がいいんですね」と褒められ?ました。頭や心がポンコツになってきたら、その分、元気が増したのかも知れません。きっと、よいことなのでしょう。

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