今やほぼ死してしまったジャンルの音楽ですが、70年代、80年代にプログレッシブロックと呼ばれる音楽の様式がありました。いわゆる「プログレ」です。クラシックの音楽知識や文法をロックに持ち込み、当時出始めたばかりのシンセサイザーやメロトロンといった鍵盤楽器を大胆に使い、リズムは変拍子が織り込まれ、アメリカでは「ちっとも踊れないロック」と言われたりもしました。
本場はイギリスでしたが、日本も世界に冠たるプログレ王国で、キングクリムゾン、エマーソン・レイク&パーマー、ピンク・フロイド、イエスの4バンドを「四天王」などとファンやロック雑誌周辺では勝手に祀り上げたりしました。バンドの素晴らしさを競って、それぞれのバンドのファンが実に不毛で、実に幸せな議論をしていました。(人によっては四天王のメンバーが違う!とか、五大バンドだとか、この時点で議論百出です) そして、大体、プログレファンというのはモテない人たちでした。面倒な子供ばかりがこの音楽に被れたのです。 私はそのモテないプログレファンの一人で、中でもイエスの大ファンでした。
そのイエスのロック史に残る名盤に「危機」(Close to the Edge)があります。1972年に発売され、日米英にとどまらず世界中で大ヒットとなりました。このアルバムは当時のレコード盤でA面1曲、B面2曲という構成で、先行して発売するシングル盤が牽引して、この曲を含むアルバムも売っていく当時のビジネスモデルをまったく無視したチャレンジでした。
このアルバムのタイトル曲であり、A面を占めるClose to the Edgeという曲の構成美に、当時中学生だった私は本当に驚かされました。少ない音数で混乱した状況のオープニングから徐々に旋律が立ち上がり、これが繰り返され、壮麗な楽器のアンサンブルが連なり聴く人の感情の器を徐々に満たしていくのです。そして、その器がいっぱいになった曲の最後に歓喜のクライマックスが訪れるのです。一気に蓄えられていた感情が聴き手の中で溢れ出すのです。この方法論を下敷きとして、幾つもイエスは名曲を生み出しますが、中でもこの曲が群を抜いて素晴らしいのです。最初にレコードに針を落としたあの日から、何度聞いても、この構成の巧みさに感動してしまいます。
やがて、成長した私は「このこと=器をいっぱいにして、仕留めること」が音楽だけではなく、スポーツの世界でも起きていることを発見します。テニスやバドミントンや卓球といったゲームでは、優れたプレイヤーはラリーを続けて、自分のウイニングショットが確実に決まる「その時」が来るのを整えていくのです。これも「器を満たしている」のです。そして、野球においても、ピッチャーもバッターも優れた選手はこの「器を満たす」ことをしていきます。名勝負と言われるものの多くは、互いがこの「せめぎ合い」をしているように思います。ゴルフに至ってはこの「器を満たす」ことがその面白さの中核となるものですし、最近ではF1のレースでも、優れたレーサーがオーバーテイク(追い抜き)をするときにこれを感じるのです。
あらゆる世界で「器をいっぱいにする」仕掛けを作ることができる達人がいるのでしょう。芸術、スポーツ、ゲーム、そしてビジネスの世界でも優れた営業マンやプロデューサはきっと「器をいっぱいにする」ことで成功を勝ち取ってきたのでしょう。思えば、これまでの会社員生活においても、何人かそんな人たちに出会ってきました。恐らく、この様なエラい人たちは子供の頃に「面倒くさいプログレ」に躓いたりはしていないと思いますが。