もはやデトックス(detox=毒抜き)は無敵です。毒物(薬物、アルコール)、老廃物のみならず、最近では「心のデトックス」なんて表現も当たり前で、ストレスや悩みすら「スッキリと抜いてしまうこと」ができる世の中です。本当ですかね。

そんなに世界が毒で満ちているのか、それとも潔癖症のセンサイさんが大勢いるのか、とにかくみんなデトックスが大好きです。何だか「自立した大人のたしなみ」といった感じです。辛いことが沢山あって、体や心が痛めつけられて、けれど、それを自らの意志で再生していく…とてもよい「大人の感じ」です。

依存症の治療としてのデトックスは別として、曖昧模糊とした「体の中の悪いもの」をどう排出するかはどこにも定められている訳ではなく、完全な無法地帯です。大量の水や、果物や野菜がプカプカと浮いた「デトックス水」を飲んだり、ヨーグルトを食べたりします。何でも有です。
サウナで大量に汗を流すのがよいとされる一方で、発汗では体内の毒素は排除できないと反論がなされたりします。まぁ、毒物は出ないかも知れないけれど老廃物は出ていくので、「サウナのデトックス効果」を謳ったところでデトックス警察が出動し、事案化することはありません。

そもそも、みんなきっちりと「体内にあるXXという毒物、YYという老廃物を排出したい」なんて思っている訳ではなく、「気分」でやっていることなので、それでスッキリすれば、先ずはデトックスは成功なのです。気を付けないと、デトックスをきっちりやろうとして、心にストレスが生じ、そのストレスをデトックスするという「果てしない物語」(ネバーエンディングストーリー)が始まってしまいます。妙に調子のいいリマールのテーマ曲が聞こえてきます。とかく、この国のフツーの人たちはきっちりとやり過ぎるのですから、楽にやりましょう。

さて、私も丁度去年の今頃、早期退職前に「会社を辞めたらデトックスして爽やかな体と気持ちで再出発!」などと目論みました。
とは言っても、常用する薬物を抜くと高血圧症が悪化して早々に天国(地獄か)に召されてしまいますし、アルコールを抜くという発想はもとからありません。
一時期はドリンク剤の飲みすぎでタウリンやらカフェィンが体内を常時廻っていましたが、これは早期退職をして、「あの小さい茶色の瓶」を飲まなくなり、あっという間に自然に排出されていきました。あれ、値段によって「効き目の瞬間風速」が違うんですよね。感謝しているのです、特に眠たい会議の前とか、会議中とか。

という訳で私のデトックスはもっぱら「心のデトックス」に向けられていました。長年の金属疲労ならぬ勤続疲労できっと心に「毒や老廃物」が貯まっていて、これがなくなると毎日気持ちよく目覚められると思ったのです。会社だけでなく、長きに渡る人生において、いろいろと失敗をしたこと、後悔をしていることに関しても、辛い思いをした自分がいて、それについてもこの機に楽にしてあげたかったのです。すっかりセンサイさんの気持ちだったのです。正直なところ、デトックスに期待すらしていたのです。スカっ!とするんじゃないかってね。それに、デトックスするという言葉も気に入っていました。

おいしいものを食べて、欲しかったものを買って、スポーツクラブの25mプールを50往復してからサウナでしばらく脳死して、なんて日々を数日過ごしました。

結果分かったことは、体内に蓄積し、私が毒だと思っていたもの、老廃物だと思っていたものは、私の一部であり、もはや不可分であったということでした。何だか、切り離せなかったのです。
それに、更にそこから踏み込んでしまうと、「自らのすべてが毒で老廃物だった」という恐ろしいことに気付いてしまうかもしれなかったのです。覗いてはいけない深淵がそこにはありました。くわばら、くわばら。
ちっとも自慢にできることではありませんが、私の心に渦巻いていたものは、早期退職をする、会社を辞めるといった程度の転機において簡単に排出する、なかったことにすることにはできないものだったのです。スターウォーズ的には「ダークサイド」に落ちていたのかも知れません。
それに、もし、デトックスに成功したとしても、後には、ポンコツと化した肉体と大して面白いことも起きない未来が待っているだけなのです。

そして、誰かを傷付けてしまったり、何もしてあげられなかった後悔は「毒」「自分を苦しめるもの」に転化していた訳ではなく、その人を忘れない大事な記憶だったのです。

何だか、スッキリしました。これ、もしかして、デトックスに成功していたのですかね。
そして、今に至るのです。

きっと、デトックスというのは様々な舞台の最前線で「自分を張って生きている若い人たち」に必要なもので、気分転換のおまじないの様なものなのです。「あしたは元気になーれ」ってね。
主語を「中高年」という大きなものにするつもりはありませんが、私たちはきっと、これまでに起きてきたこと、しでかしてきたことを排出せずに心に留めておいた方がよいのです。だって、これから何も起きない長い時間が待っているのですから、退屈しちゃうじゃありませんか。たまには「毒」でも舐めないと。

社会的には「老廃物」である私も、いつかは「大いなる意志」やら「運命」やら「寿命」やらといった抗えないものにデトックスされるのでしょう。まぁ、その日まで、機嫌よく生きていくことにします。

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