いつも休んでばかりいるので「GW」も何もあったものではありませんが、取り敢えず世間も何だかワクワクと浮かれているので、それに便乗していつも以上にのんびりすることにしたのです。ほとんど呼吸もせずに生物と鉱物の中間の様な存在です。まぁ、ご飯だけはちゃんと食べるけどね。

こんな機会なので、ここしばらく気になっていた「底辺」と呼ばれる事柄について、考えてみたのです。

以前のエントリで書いたとおり、いつの間にかこの国では階級社会が出来上がっていて、この最下層が「底辺」と呼ばれます。この層に属するものは「誰にでもできる」が「キツイ」仕事をし、しかも「低収入」で「非正規労働者」であるとされています。

多くの人にとって、「底辺」は自分が幸せであることを確認するために存在する様なもので、これらの仕事を黙々とこなす聖人の様な人たちに「同じ時代を生きるものとしての共感」も持たず、感謝もしません。これらの仕事、例えば、警備、清掃、介護といった仕事です。みんな「大変だよね~」とか言うくせに「まったく自分とは無縁」だと思っている仕事です。

けれど、本当の意味での「底辺」とは従事する仕事の内容や、得られる収入ともまったく関係がなく、「心の在り方」のことの様に私は思っているのです。

自戒を込めて「底辺がする考え方」を書き並べてみます。

●他人の失敗を喜ぶ/他人を自分と同じ「低さ」になる様に足を引っ張る
→何か失敗をしたものに対してSNSなどで執拗に非難や中傷を繰り返して「正義」を振りかざす。また、直接に声を上げずともその書き込みをほくそ笑みながら見ている(これも一緒)

●自分より弱い立場のものにだけ強く出る、また怒りや憎悪といった感情のはけ口にする

●どんなときでも「自分」や「自分の利益」を優先する
→「人間の尊厳」とか、「人を思いやる心」といったものが理解できない

●自分を守るために常にウソをつく

●悪い習慣に染まっていて、それを偽悪的に自慢する

勿論、先程列記した仕事の中にもこういった考え方をする人もいるでしょうが、それは「他の仕事」に就いている人における比率と変わらないのです。

世の中での「底辺」議論、そろそろ職業や収入で線を引くのは止めて、人の考え方を対象にするのはどうでしょう。用例:「あいつの考え方、底辺だよね」「お前、底辺なこと言ってんじゃねぇよ」 だって、子供の頃に親に教わったでしょ、「職業に貴賤はない」って。

私は早期退職をした後に再就職した現場で、いわゆる「底辺」とされる仕事をする人たちと多くの時間、一緒に働いてきました。仕事の内容こそ違えど、私もまたいわゆる「底辺」の仕事をしてきたに違いありません(収入も少なかったしね)。正直、再就職の前まではステロタイプの「底辺」の概念しか持っていなかった私は多いに驚かされ、そして恥じたのです。

「誰にもできる仕事?」それではみんなやってみたらよいのです。「辛抱強く、自分だけを頼りにその場を乗り切る」という能力が無ければ、とてもできない仕事ばかりです。しかも多くの場合、休む間もなくずっと体を動かしてます。そして、ツライ仕事を通じて、多くの人がきちんと「自分だけの労働観」を持っているのです。これは尊いものです。

「上手いやり方」や「美味しい話」ばかりに浮かれる世の中にあって、それとは異なる軸で生きている、仕事をする人たちがいます。中高年からの再就職、本人たちはどう思っていようと外から見れば、いわゆる「底辺」の仕事をするケースが大半なのです。でも、そんなことで動揺しなくても大丈夫。そんなものはどこかの「底辺な考え方」の人たちが仕組んだマインドコントロールなんだから。「人を『底辺』って貶める奴が『底辺』」なんです。

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