出張が好きな訳でも、飛行機に乗るのが好きな訳でもありませんでしたが、空港にいるのが好きでした。航空会社の人も、施設管理の人も、ショップの店員さんも、誰もかれもが空港がきちんと機能するために、何か役に立つことをしている。全体の指揮者なんていないのにね。
そして、利用客だって、これから出発するにせよ、到着したにせよ、どこかに向けて歩みだし、「自分の役割」を果たそうとしている。何とも素晴らしい場所ですよね。
そもそも、何で急にそんなことを思ったのかと言えば、ようつべで突然に、JALで搭乗時に機内で流れる「I Will Be There with You」がオススメ動画として、画面に表示され、それを視聴したからなのです。これ、2008年から使っているらしいので、15年間、みんなに愛され続けてきたんですね。
日本でも多くのファンがいるDavid Fosterさんによるオリジナル曲なんですけれど、改めて聴いてみると、何だか空港の情景やノイズが脳内で再生されて、生き物の様に機能する「よき場所」のことを思ったのです。実際に働いている人たちからするとイヤなことや、困ったことなんかも沢山あって、それどころじゃないんでしょうけどね。
それで、そんなことを思い出していたら、更にそこから連想が進み、ずっと昔、生まれてきたときからずっと、私たちは「みんなで作ってきた」んだなと思ったのです。
子供ながらに「家族」を両親や兄弟と作り、学校に行けば「クラス」「部活」「サークル」「ゼミ」なんてものを先生や友人・先輩・後輩と作ってきました。大して活躍できなくとも、そこにいて、そこで同じ空気を吸って、とにかく「みんなで作ってきた」のです。
やがて、会社に行けば「組織」を上司や同僚と作り、更には別の組織の誰かのために役立つことで「会社」を作り、会社は「お客さん」と「その先のお客さん」に役立つことで、「社会」を作ってきた、そんなことを思ったのです。幸せな幻想ですかね。
それで、今、再び、とても小さな単位である「家族」に立ち戻って、これをカミさん、愛猫と作っているという訳です。まぁ、これから先、再び何らかの「場所」に身を置くことになれば、そこをステキな場所にすべく、みんなと「作っていく」ことができればいいんですけどね。
10月に高校時代のクラス会があって、これまではどうにも都合がつかずに欠席を繰り返していたのですが、今回は出席してみます。友人に「出ておいでよ」なんて言ってもらったことですし。かつては「みんなで作った」場所ですし。それに、きっと誰よりも私は暇ですしね。