気付けば来週末はGWに突入しているんですね。私は3日間休んで、2日間出社し、それから再度5日間休むというスケジュールです。ただただ天候に恵まれることを祈るばかりです。いっぱい草むしりしないといけませんからね。

さて、定年を迎えるにせよ、早期退職するにせよ、「最初に(会社を)辞めたとき」というのは、実は「十分にやり終えた」という状態ではない様に思うのです。だれかにそのときの心境を尋ねられれば「もう、やれることはやったよ」なんて、カッコのいいことを答えてしまったりしますけどね。

そのときは本当にそう思っているのでしょうが、それからしばらくすると、何だか手持ち無沙汰な感じがして、何だか寂しくなって、「オレ、こんなところで何をしているんだろう」なんて落ち着かない気分になります。恐らく、みんな、同じ。

これ、時がそんな気持ちに整理を付けてくれる訳ですが、それって、少し「泣き寝入り的な虚しさ」をずっと後まで引き摺ってしまいそうです。「まぁ、そんなものだよね」とか淋しく笑ってしまう感じです。

それとは異なり、心底から「十分にやり終えた」と思えてからのリタイアというのは、「その後」にスムーズに移行できる様に思うのです。というか、本来、「十分にやり終えた」後の状況がリタイアですしね。

私の場合、59歳で早期退職をし、それから再就職をしたのですが、しばらくはそれが「老後の仕事」といった割り切りができずに、結構いろんなことを考えてしまいましたよ。「まだ、自分ではいろいろなことができるんじゃないか」とかね。

それが、今の職場に移って、半年が過ぎ、とにかく忙しい毎日を過ごす様になって、ようやく「この仕事をしばらく続けたら、もう十分だな」なんて思う様になりました。それ以降も、バイトみたいなことをするかも知れませんが、それは本当に「老後の仕事」で、週に数日、近所で働く程度が丁度よいのでしょう。

つまり、人にはそれぞれ「十分にやり終えた」という思いが自然に湧き上がってくるタイミングがあって、そのときこそが本当の「リタイア適正期」だと思うのです。そして、自らが発するそんなシグナルを感じ取って、満を持して?リタイアした先には、脱力し、何ものにもとらわれない日々が待っている様に思うのです。

数日前のエントリに書いた「ぼーっと生きる未来」、そんな素晴らしいものが待っていてくれると思うと、とても安心します。たとえ、私が何もなさずとも。

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職場であまり話す機会が無かった人と、ふとした時に「家には猫ちゃんがいてさ」という話になり、大いに盛り上がりました。いい年をしたおじいさん同士がスマホに保存している猫ちゃんの写真を互いに見せ合っては、カワイイねぇーなどと言っては盛り上がりました。まぁ、家の子には敵いませんけどね。(相手もそう思ってる)

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