「現代」という時代は経済の成長が前提となって成立しているのだそうです。これが停滞してしまうとすべての目論見が外れて、あっという間に世界が崩壊してしまう。個人の住宅ローンにしても、とんでもないリスクを「このまま経済が成長して、自分もこの流れの中で、数十年間もの間、収入を確保、増やすことができる」という信心に基づいて背負うのですから。
こんな苛烈な世界の片隅で何とか息をしている訳ですが、最近は「日常の低速化」を日々感じるのです。年配者の割合が高くなり、いろいろな場所で「ゆっくり」と動くこと、「時間が掛かることが当然の世界」がそこには広がっています。
今日はカミさんに用事があり、夕食は私が作ることになっていて、スーパーに食材の買い物に行ったのですが、店内の風景はスローモーションの映像の様で、若い頃のせっかちな私がそこにいたら「ちっ」とか言ってしまいそうな具合だったのです。
まぁ、お客さんの大半が高齢者なので、それが当たり前なのです。通路を歩く速度が遅い、商品の棚の前で動かない、店員さんに意味不明のことを尋ねる、知り合いと出会うとそこがどこでも立ち止まってお喋りをする、エスカレーターに乗るにもタイミングが上手く取れずになかなか乗れない、レジの支払いで小銭を使い切ろうと奮闘する…. これが私たちの新しい日常の風景です。
そもそも、私もその「低速化した日常」を構成する一人なので、最近はこれが少しも苦にならなくなりました。それどころか、すっかり「溶け込んでいる」訳です。
今日だって、全体がゆっくりしていることで買い忘れもなく、無事に「海鮮焼きそば」「チンゲンサイのたまごスープ」「麻婆ナス」の食材を揃えることができました。最近はクックパッドの様なレシピサイトを見て、何だって作れるのです。
これから更に高齢化が進み、2045年(これから僅か23年後)には75歳以上の高齢者が国民の30%を占め、平均寿命も100歳になるのだそうです。これから、更に「低速化した日常」が私たちを待ち受けているのです。でも、大丈夫、私たち自身も順調に低速化していくのです。体感速度は変わらないに違いありません。