私が住む東京の郊外だと、夜は涼しいを通り越して、一気に寒いと感じる様になりました。愛猫は長毛種なので、少し寒いくらいはへっちゃらで、一緒にいると「窓を開けてよ」とせがんできます。まだ外には蚊がいるので、網戸を開けてあげられませんが、昼も夜も熱心に窓から外の世界を眺めています。

数年前まではしきりに「おもてに行きたいな」と訴えてきたのですが、最近はこれがまったくなくなってしまいました。今度誕生日(1月)が来れば、この子も10歳になるのです。猫ちゃん的には、中年を過ぎて、シニアの年齢です。寝顔を見ていると、もっともっと長生きしてねと思うことしきりです。

バーボンのCMで「正しいことは変えない」というコピーを見ました。結構に胸に響きました。時折、日常に転がっているいろいろなコトバにドキッとすることがあります。

最初はとても小さな雲のかけらの様なものが頭の中に浮かんできて、それが次第に大きくなっていく。けれど、まだそれを何と言ったらいいのか、一番しっくりくる言葉は何かが思い浮かばない。それがあるとき、まるでどこかで待ち伏せをされていたかの様に「当たり」に出くわします。

その瞬間は「うれしい」と思うときもあれば、「何だ、それだけのことだったのか」とがっかりするときもあるのです。けれど、そのときの自分が、何を大事に自分の中で育てていたのかが分かると、とてもスッキリします。人は皆、自分のことが大好きで、自分のことを知りたがって、自分が可愛くて仕方がない生き物ですからね。それはオマエだけだヨ。

それで「正しいことは変えない」のどこにドキッとしたか。それは、しばらく「正しい」ということに目を瞑っていた自分がいたからに違いありません。勿論、この「正しい」とは社会的な規範に準ずることではなく(それも大事)、自分が大事にしてきたものに背かないことを指しているのです。

もう「何もしなくてもよい」オジイサンである私は、これからの時間を、これまで拠り所としてきたものにできる限りのことをする、それが「正しい」ことなんだろうなと、ちょっと恥ずかしいことを思ったりするのです。そして、この「正しい」を別の何かに食い荒らされたり、どうでもよいものを手に入れるための犠牲として差し出したりしない様にしなければ… 最大の敵は他ならぬ自分なんですけどね。

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週末にスーパーで買ってきた柿が、昔懐かしいタイプのもので、「柿食えば…」子供のころを思い出したりしました。買ってきた柿は、種があって、胡麻が入っていて、少し小さくて、しっかりとした歯ごたえがあるものでした。そう、どこかのお宅の柿の木になっている様な柿。

子供の頃、長野の親戚から、毎年の様に段ボールいっぱいに詰められた柿が送られてきたのです。それが、こんな柿でした。そこにはもう懐かしい人もいなければ、柿の木もありません。あの頃をもっと大事にしておけばよかったな。

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