昨日(7/11)から、急に涼しくなりました。昨日は夜もエアコンを点けなかったし、今日もずっと点けずに過ごしました。バテバテ、ぐだぐだになっていたので、ほっと一息つけました。
週末です。若い頃みたいに、つい数年前みたいに、週末に何でも詰め込むことはもう無理です。来週末には3連休が待っているので、「今週末にやらなきゃ」と思っていることの大半は来週に回してしまいましょう。
さて、神さまが作ったのか、人間が作ったのか、この国の先達が作ったのか、今生きる私たちが作ったのか、何ともハッキリしませんが、この世の中は実に上手くできています。今、改めて「働くこと」を考え直していて、そんなことを思ったのです。
というのは、シニアになっても「求人」が絶えない仕事というのは、その人が「何ができるか」が唯一の採用基準となっているからです。要領よく立ち回ってきたとか、運よく大企業に就職したとか、そういうことでなく、地道に仕事に取り組んできた人がきちんと報われる、そういう社会であることが「素晴らしい」と思っているのです。
それで、この「何ができるか」というのは、自分でそう宣言すればよいというものでありません。「何かができる」と他者に認めてもらうには、幾つかの要素が組み合わされる必要がありそうです。
先ずは「経験(年数)」です。とにかく世の中には「時間」を積み重ねることでしか得られない「チカラ」が存在します。よく言われることですが、兎にも角にも「3年」。3年という期間、その仕事をしていれば、普通に起き得ることの大抵は経験することができるとされています。ホント、これ。だから、3年未満の職歴というのは、実は「?」と思われても仕方がありません。
次は「資格」。基本的には国家資格オンリーです。このブログでは度々書いているのですが、「資格」には二つの側面があって、どちらも採用する側からすれば、重要な採用ポイントとなる様に思うのです。一つ目は「必置資格」の観点です。必置資格を持つ従事者がいないと、そもそも業務ができないものが、世の中にはたくさんあるのです。不動産(宅建等)、薬(薬剤師、販売登録者等)、設備(電工等)、調理/給食(管理栄養士)などなど。
こういうところで採用側が「求人をしよう」となると、対象は「必置資格保有者」ということになります。それ故に、シニア層であっても「必置資格」を持っていると、ほぼ70歳くらいまでは仕事にあぶれることはありません。若い頃にこういった資格を取っていた人達は「長く」「自分の芸」で働くことができます。
昔、会社の上司が冗談交じりに「オレ達、いっちょ前のフリしてるけど、所詮は無免許運転なんだよな」なんてことを言っていたことを、今でも思い出します。そう、事務系のサラリーマンの多くは「無免許運転」で、これが実は会社を辞めた後に「何もできない人」になり果てる原因なのです。
若い頃に、シニアまでを対象期間として、自分のキャリアプランを立てるなんて人、昔も今もそんなにいるものではありませんが、中にはそういう「強者」がいるのです。恐るべしです。
加えて「資格」が重要視される二つ目の理由が「品質保証」です。持っている知識、技量の証明であり、更には「達成する努力ができること」の証明です。私はよく「資格だけ持っていても仕方がない」という話に対して、「そんなことないよ」と小さく呟くのは、この「努力証明」が重要だと思っているからなのです。
新しい仕事に就くに際しては、多かれ少なかれ「初めて」のことがありますが、これを克服するための努力ができること、これが大切な素養だと思うんですよね。
何でくどくどとこんなことを書いているのか、それは、オジイサンの仕事選びだからこそ、「何でもいい」じゃなくて、「これができる」で働きたいなぁと思うからです。仕事に貴賤はなく、すべてが尊いものですが、実際に働く身になったときに「未経験・無資格可」という仕事をするには、相当の覚悟が必要であることを私は知っているのです。私の場合、「未経験」だが「資格はある」ということで、何とか早期退職後からこれまでの間、仕事にありついてきたのが実際なのです。
シニアの労働の現実は厳しいもんだぜ。
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美味しい料理を自分の技量で作ることを諦めました。少しづつ修行すれば何とかなるかも知れませんが、今日にも「それなりに美味しい」料理を作って、カミさんとごはんを食べねばなりません。
ということで、プリセットされたメニュを選んで、食材を放り込めば、後は勝手に調理をしてくれるという機械を買いました。丁度、Amazonでセールもやっていましたし。また、その報告もしますね。